【イオニュース PICK UP】加害の歴史に向き合い、植民地主義の克服を/関東大震災朝鮮院虐殺100年、大阪でもシンポ開催
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「関東大震災朝鮮人虐殺シンポジウムin大阪―100年続く思想と現在性を問う―」(主催=同実行委員会)が9月22日、大阪市の東成区民センターで行われ、280人が参加した。
シンポは、虐殺から100年を迎えた今も、その事実を一貫して否定・隠ぺいしてきた日本当局に対して、真相究明と被害者の尊厳回復を強く求めると同時に、在日朝鮮人の権利意識をより研ぎ澄まし、日本社会においてはその加害の歴史に正面から向き合うための契機とすることによって、朝・日連帯運動をより高い段階に押し上げていこうという趣旨のもと企画された。
はじめに、事件から80周年を迎えた2003年に総聯映画製作所で作られた虐殺目撃者の証言などを含む映像作品『歴史を繰り返してはならない』が上映された。
開会宣言につづき、犠牲者たちへ黙とうがささげられた。
なお、実行委員で基調報告を担当する予定であった、立命館大学コリア研究センター研究員の塚﨑昌之さんが9月16日に永眠されたことが発表された(享年67)。
参加者らに配布された資料集には、発表予定であった基調報告「関東大震災朝鮮人虐殺とその植民地主義的本質」のレジュメが掲載された。
これは、在日本朝鮮人人権協会発行の『人権と生活』56号(2023年6月)に掲載した原稿を加筆・修正したもの。震災当時のぼう大な新聞資料の中から、震災直後の大阪でも「枚方の火薬庫を朝鮮人が襲う」などの流言飛語が大々的に語られていたこと、東京だけでなく大阪でも実際に在阪朝鮮人社会主義者への弾圧があったこと、このような雰囲気の中で朝鮮人は「危険な存在」とされ、職場から解雇されるなどさまざまな場面で地域から排除の圧力が高まっていたことなどを抽出し、丁寧にまとめられていた。
故塚﨑さんは「おわりに」で、次のように記していた。
「政府は関東大震災でも大阪空襲でも朝鮮人犠牲者の正確な記録を残さずにごまかし、歴史の闇に葬ってきたし、…彼らは『素晴らしい』『優秀』な日本の歴史だけを強調し、負の歴史を消し去ろうとしている。『遅れた朝鮮を助けた』というような植民地支配合法の立場に立ち、朝鮮人被害者の命、生活を軽んじてきたのである。現在、日韓政府、両国民衆の間で問題になっている『徴用工』問題、『慰安婦』問題にも通底するものがあるといえよう。関東大震災朝鮮人虐殺事件を含む植民地支配責任を潔く認めることが、…東アジアの平和につながっていくと考えるのは間違っているだろうか」
シンポには、朝鮮大学校講師の鄭永寿さん、弁護士で大阪府朝鮮人強制連行真相調査団事務局長の空野佳弘さんがパネラーで登壇。在日本朝鮮社会科学者協会大阪支部の黄貴勲会長がコーディネーターを務めた。
まず、鄭永寿さんが「在日朝鮮人運動による関東大震災朝鮮人虐殺の真相究明・責任追及―その最盛期における連帯と齟齬―」と題して発題。
鄭さんは、虐殺直後から今日までの在日朝鮮人運動で、「加害の側から虐殺の真相を徹底的に明らかにすることが常に求められてきた。総聯は今日まで虐殺の国家責任を求めてきた」とし、「こうした要求を弾圧し、封殺し、回避をしてきた延長線上に今日の日本政府の姿勢があると思う。今改めて被害当事者の運動への応答が求められている」と話した。
また、「日本の革新勢力は在日朝鮮人運動との連帯の中で、日本の国家責任を十分に追及したとはいえず、日本人の労働運動家や社会主義者の虐殺に関心を向ける中で、日本人自らが加担した朝鮮人虐殺に向き合ってこなかった」としながら、「100年目というのは、日本の責任に向き合う最後の契機ではないか。特に日本社会全体が民衆による朝鮮人虐殺に向き合う必要がある」と強調した。鄭さんは「政府の主導下で、民衆はむしろ国家と一体になって虐殺に繰り出したのが実態であり、そうした構図は現在もかわらない。日本政府の対朝鮮民主主義人民共和国、対在日朝鮮人政策のなかで『下からの排外主義』がはびこっている。政府に虐殺の事実を認めさせ、民衆責任に向き合うことは日本の政治を支える主権者としての責務である」と言葉に力を込めた。
一方、空野佳弘さんは「関東大震災朝鮮人虐殺100年を迎えて」と題して発題。
空野さんは、「どうしてこのようなことが起きたのか。どんな人でも人を殺してはいけない。殺したら処罰される。…ちゃんと考えないと同じようなことが起こりうる」とし、その理由について3つをあげた。▼「危機の時代」(1917年ロシア革命、19年3.1独立闘争)に発生したこと、▼朝鮮人は殺されても仕方ないという認識が社会に形成されていた、▼普通は人を殺すことが大々的に行われたとき、やめろという人が出てくるのに1923年には出てこなかった―だ。
空野さんは「米朝の対立、朝鮮半島の南北対立、日朝の対立、米中、日中、台湾問題… 現在も『危機』の時代といえ、同じことが起きうる。100年前の出来事を今の教訓とするためには、心の中に『抵抗力』『免疫』を作らなければ」と話す。未だ虐殺の事実を隠ぺいし、政府が否定し続けている現状の中、「絶対に(虐殺のようなことを)やめさせなくてはならない社会をどう作っていくのかが今後の課題だ」と話した。そしてそれは「一緒に何かをしようとすることで出口を見出せるのでは」とも。調査団の活動における自身の経験を述べながら、「共に活動していく過程で築かれる信頼関係があってこそ、心に免疫・抵抗力ができる。そしてどこにいても真相を訴えていかなければ」と話した。
発題後、質疑応答が行われた。
「朝日連帯運動の齟齬を埋めるための具体的な課題」という質問に対し、鄭さんは次のように述べた。
「日本政府は当時から虐殺を隠ぺいし、正当化し、今日まで責任を果たしていない。それゆえ虐殺の生存者、遺族が苦しみの中で生きてきた。そして日本社会には虐殺を否定する言説がはびこっている。こうした現実を規定しているのは、100年続く植民地主義思想で、これがいかなる暴力であるかしっかり認識することからはじめるべきだといえる。
植民地主義は他民族の主権を暴力的に不法に奪う暴力。そうした暴力が連鎖する中で関東大震災の朝鮮人虐殺が起こった。逆に独立運動というのはその奪われた主権を回復する、取り戻す運動だったが、関東大震災のとき日本社会では、そうした独立運動に立ち上がった朝鮮人を『不逞鮮人』と蔑視、敵視する認識が広まっていた。そして虐殺のきっかけとなった戒厳令と流言は、『朝鮮人が暴動を起こしている』というもので、つまりは独立運動を否定する心から生まれてきた。それが虐殺を生んだ。
独立運動を否定するのではなく、植民地支配そのものを否定することで責任を果たせると考える。植民地主義の克服といった場合、朝鮮人虐殺から始まり、今日の対共和国政策、在日朝鮮人の弾圧まで含め、広く日本の対朝鮮認識と行動が今まさに問われている。植民地主義をどのように認識し克服するのかが、日朝の連帯において最も重要な課題である」(鄭さん)
シンポジウムに参加した留学同大阪の趙錫隆さん(22)は「100年前の歴史を自分事と捉えること、『今日にも同じことが起こりうる』としっかり認識すること」の重要性を痛感したという。100年の節目をイベントとして終えるのではなく、「現状の課題を解決するために自身が何をすべきか問い続けていきたい。まずは自身が留学同活動を通して一人でも多くの、さまざまな在日朝鮮人学生らと繋がり、自覚を取り戻し、民族の尊厳を守っていくことからはじめられるのでは」とも。「大阪で直接、虐殺が起きたわけではない。でもこの問題は、関東地方だけでなく全国各地の在日朝鮮人が一丸となって取り組むべき問題だと思う」と話した。
最後に、宣言文が朗読され、参加者全員の拍手で採択された。
(文・写真=李鳳仁)