加害の歴史は消せない 群馬の森朝鮮人追悼碑強制撤去
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群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に位置する朝鮮人強制連行追悼碑が県によって撤去された。2月2日、県は撤去が終了したと発表した。ヘイト団体による「抗議」から始まった追悼碑撤去の一連の動きは、公権力による強制撤去で幕を下ろした。歴史修正主義を加速させる碑の撤去に抗い、声を上げ続けた人びとの現場をめぐった。(文・写真:康哲誠)
歴史修正主義の台頭
1月20日。県立公園「群馬の森」に足を運ぶと、「記憶 反省 そして友好」の追悼碑はいつもと変わらず、静寂の中で厳かにたたずんでいた。碑の周辺に伸びていた木々は伐採され、どこか哀愁が漂う。「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会(以下、守る会)の前身団体が県議会で全会一致の承認を得て、朝鮮人強制連行追悼碑を公有地に建立してから今年で20年。変わったのは追悼碑ではなく、それを取り巻く社会的状況だった。
ヘイトスピーチやヘイトデモが各地で吹き荒れた2012年、碑の前で行われた追悼式で「強制連行」という「政治的発言」があったとし、「碑文が反日的」だと主張する「抗議」がヘイト団体などから県に殺到。それを受け、県は14年に守る会の碑の設置許可更新申請を不許可に。守る会は県の対応の不当性を訴え県を提訴し、1審では勝訴したものの、東京高裁では一転敗訴。最高裁では高裁判決の問題性が問われないまま、22年6月に上告が棄却された。
守る会をはじめとする日本市民と同胞たちは、その後も碑の存続を求め声を上げ続けた。守る会は昨年10月11日、新たな裁判闘争もはじめていた。しかし、県は12月28日までに守る会が碑を自主撤去しない場合、「行政代執行」法に基づき県が撤去するという「戒告書」を10月25日付で送付。さらに、追悼碑周辺で木々が伐採されるなど不穏な動きを市民らが感じていた中、県が碑の撤去方針を固めたことが明らかになった。
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