【イオニュースPICK UP】新団体設立へ、追悼碑の再建目指す/群馬の森朝鮮人追悼碑第20回追悼集会、総会
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“碑がなくとも追悼し、記憶を”
「記憶 反省 そして友好」の追悼碑は、県下における朝鮮人強制連行調査を経て2004年、日本人有志たちにより県立公園「群馬の森」(高崎市)に建立された。建立にあたり、当時の県知事の承認、県議会で全会一致の採択を得ていた。しかし2012年、「碑文が反日的」だとする排外主義団体のクレームが県に殺到。それに屈した県が、「守る会」が申請した碑の設置許可の延長を認めなかった。「守る会」は県に不許可の取り消しを求め前橋地裁に提訴(2014年)するも、最高裁の決定で2022年6月、敗訴が確定した。それ以降も「守る会」そして市民有志らは碑の存続、県との対話を求めたが、県側は最高裁判断を根拠に今年1月29日、行政代執行による碑の撤去を強行した。
この日、追悼碑が存在しない中で初めて行われた集会に多くの人が駆けつけた。壇上には、「記憶 反省 そして友好」と刻まれた銘板をはじめ、残された碑のプレート3枚が展示された。
「守る会」の宮川邦雄共同代表、総聯群馬県本部の李和雨委員長など各界代表らが追悼の言葉をのべた。李委員長は、「追悼碑が権力の手によって撤去、破壊されたことに深い憤りと悲しみを覚える」としながら、「『群馬県の良心』である追放碑がなくなったとしても犠牲者を追悼し、記憶し続けていくことが私たちの責務である」と言葉に力を込めた。
参加者らは、朝鮮人犠牲者を追悼し、花を手向けた。また「守る会」共同代表を務めるなど碑の存続のために尽力し続けた故・角田義一弁護士(2月23日逝去)を悼み、黙とうが捧げられた。
「守る会」解散、新たな運動へ
続けて、「守る会」の総会が開かれた。川口正昭共同代表は、今総会を知事と県による暴挙を踏まえたものだと位置づけ、「皆さんとともに歴史における次の大きな波を作り出して、運動を一層広げていくための総会にしたい」とあいさつした。
弁護団事務局長の下山順弁護士は、これまでの追悼碑をめぐる裁判について総括した。「守る会」の藤井保仁事務局長は、今後の方向性として①「守る会」は解散するが後日、新たな会を立ち上げること、②追悼碑の再建を将来実現させること、③県から「守る会」に請求されている碑の撤去費用2062万円に関して、裁判では争わないことを示した。
またこの日、「記憶 反省 そして友好」の追悼碑裁判を支える会の総会も行われ、解散が宣言された。
朝鮮大学校から参加した許大顕さん(政治経済学部2年)は、大学の歴史実習や自主的な学習などを通して問題意識を深めたうえでこの日、集会と総会に足を運んだ。これからも多方面で運動を繰り広げていくという方針を受けて大顕さんは、「私たちもこの問題の当事者として同世代の同胞青年や日本人学生に呼びかけて、歴史の否定に抗い、ともに運動していきたい」と意気込んだ。
AR追悼碑、“抵抗の手段”として
追悼集会に先立ち同日、県立公園「群馬の森」の朝鮮人追悼碑跡地では、新たに開発されたバーチャル追悼碑が披露された。これは、追悼碑跡地に向けて専用のアプリ「AR朝鮮人追悼碑」(AppStoreで現在配信中)のカメラをかざすと、仮想空間で追悼碑が360度再現されるというもの。実際に、碑が映し出されると集まった人びとからは驚嘆の声が上がった。
製作者である前林明次教授(情報科学芸術大学院大学)は、1月末の新聞記事で追悼碑が粉々に破壊されているのを見て、「具体的な排除が起こった」と感じ、追悼碑をモチーフにした作品を制作した美術家の白川昌生さんとエンジニアに声をかけ、すぐに制作に取り組んだ。前林さんは、「(追悼碑の破壊を前に)アーティストとして一つの抵抗の可能性を示したかった。見えないものでも思いがあれば再現でき、記憶されていくということを示せたのではないか」と開発の意義を語った。(文・写真:康哲誠)
本誌4月号では、特別企画「忘却に抗うー『群馬の森』追悼碑撤去を記憶する」と題し、追悼碑建立から撤去までの経緯をQ&Aでまとめ、関係者のインタビュー、安田浩一さん(ジャーナリスト)の寄稿を掲載しています。試し読みはこちらから。
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