徐京植さん、あなたの問いに応えていきます/東経大で偲ぶ会
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兄2人が「政治犯」として囚われる苦しみを背負いながら、在日朝鮮人の存在意義を考えつづけた作家の徐京植さん(享年72、東京経済大学名誉教授)を偲ぶ会が4月20日、東京経済大学(岡本英男学長)で行われ、約180人が参列した。生前に親交が深かった12人の研究者、教え子、編集者、家族たちが徐さんの思い出と最後に交わした言葉を語った。
母・呉己順さんと兄2人の釈放を願い
1971年に留学中の韓国で「政治犯」の容疑で囚われ、「獄中19年」を生きた京植さんの次兄・徐勝さん(79)は韓国からビデオメッセージを届けた。
「…京植の突然の訃報に接し、いちばん年下の弟が先に逝ったことに戸惑い、孤独感に覆われました。京植は私たちが囚われて以来、兄の釈放のために身を投げうち…生活を支え、助言を惜しまず、他方では全てのものに絶望し疑いながらも、自らの存在を意味付けようとしてきました…」
徐京植さんの母・呉己順さんは、在日朝鮮人1世として日本で5人の子どもを育てあげ、さらには政治犯として囚われた2人の息子の釈放のために人生を捧げ、日韓を60回以上も行き来しながら「転向」を拒否する息子たちを信じ続けた。病に侵され「釈放」の光を見ぬまま59歳で帰らぬ人となった呉さん。70年代に韓国に留学し、徐勝さんとの縁で京植さんと知りあうことになった宋連玉さん(青山学院大学名誉教授、76)は、75年11月に大がかりな留学生スパイ事件がでっちあげられ、やむなく日本に戻るしかなかったその翌年に京植さんの自宅に招かれ呉さんの夕食をごちそうになった。
「呉さんは目の前の利害と義を秤にかけない倫理観を持っていらした。義とは正義でも義理でもあるが、理不尽なことを絶対許さないという正義感を確固と持っている方でした。韓国の軍事独裁政権の国家暴力と対峙する状況にあって、呉さんの存在はとても大きかった。呉さんは息子たちの救援活動を通じて、家事の達人から人権活動家に変わっていかれたのです」
宋さんは徐さんが日本軍性奴隷制被害者たちを守るために書いた「母を辱めるな」(『ナショナル・ヒストリーを超えて』所収)をあげながら、徐さんにとって呉さんは、「血縁の母を超える同志だった」と語った。そして「在日朝鮮人の実存から出発し構築した思想への信頼感は一貫していた。長い間の友情に感謝する」と悲しみをこらえるのだった。
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