20年、勇気と感動をありがとう―梁勇基さん引退試合
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出身地の大阪で同級生らが企画
文:全基一
写真:盧琴順(共に朝鮮新報)
在日朝鮮人プロサッカー選手としてJリーグや朝鮮代表で活躍し、昨年に現役を引退した梁勇基さんの「引退試合in大阪」(主催=実行委員会、共催=大阪朝鮮中高級学校サッカー部OB会、阪南大学サッカー部OB会、大阪コリアサッカー協会、大阪中高サッカー部父母会)が8月14日、鶴見緑地球技場(大阪市鶴見区)で行われた。
旧友と再びピッチに
大阪朝高、阪南大を卒業後、2004年にJ2・ベガルタ仙台に入団し、プロとしてのキャリアをスタートした梁勇基さん。入団3年目の06年からはベガルタの「10番」を背負い、司令塔としてチームをけん引し、09年には主将としてチームをJ2優勝、J1昇格に導いた。
円熟したパスセンスから「杜の都の名手」としてサポーターから厚い信頼を得たボランチは20年にサガン鳥栖へ移籍するが、22年に仙台に復帰。仙台で18年、鳥栖で2年間プレーした「10番」は昨年、同胞やサポーターたちに惜しまれながら現役を引退した。現在はベガルタのクラブコーディネーターを務めている。
今回の引退試合は、梁さんが所属した大阪朝高サッカー部時代の同級生たちを中心とした有志らが企画した。
引退試合に先立ち、府内の朝鮮初級学校サッカー部や日本の児童らを対象に行われた梁さんのサッカースクールでは、梁さんが児童たちに手本となるプレーを披露し、児童たち個々人にアドバイスを送った。
この日のメインイベントとなる引退試合には、同胞や関係者、日本のサッカー愛好家、大阪、兵庫、京都などの近畿地方朝鮮学校サッカー部の選手らが集まり、Jリーグ通算577試合に出場した「鉄人」のプレーを目に焼き付けた。
試合では、梁さんが在籍した大阪朝高OBと阪南大学OBが対戦。梁さんは、前半は大阪朝高OBチームに、後半は阪南大学OBチームに加わり、かつて同じ目標を目指して共に汗を流した旧友たちとプレーした。
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