遺骨返還への希望をたぐり寄せ 長生炭鉱、市民らが坑口を開ける
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「坑口あけたぞ! 82年の闇に光を入れる集会」(主催=長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会)が10月26日、「坑口ひろば」(山口県宇部市)で行われ、「刻む会」のメンバーをはじめとする県内外の日本市民と在日同胞、犠牲者遺族ら250人が集まった。
坑口の全貌明らかに
「坑道の向こうに犠牲者たちが必ずいる。私たちもご遺族と心をともにして祈りを捧げましょう」―当日の追悼集会にて「刻む会」の井上洋子代表(74)は、そう呼びかけた。
1942年2月3日。宇部市の長生炭鉱では海岸から約1㎞離れた坑道の天盤崩壊により海水が浸入し、坑内労働者183人が犠牲となった。そのうち136人は朝鮮人労働者だった。
坑道を封鎖し事故を隠ぺいした炭鉱経営者と、遺骨調査に乗り出さない日本政府に対して、地元の市民有志らが1991年に「刻む会」を発足。追悼行事の主催や証言・資料収集、碑の建立などを行ってきた。直系遺族のほとんどが亡くなる中、「これ以上、遺族を待たせるわけにはいかない」と、「刻む会」は近年、問題解決に向けて活動に拍車をかけてきた。
昨年12月、「刻む会」は5年ぶり3度目となった日本政府との意見交換の場を設けた。その成果を持って開かれた今年2月3日の追悼集会の場で、井上さんは「市民の力で年内に坑口を開け、国も対応せざるをえない状況をつくっていきたい」と言い切った。その後、宇部市との交渉を重ね、工事と遺骨調査のためにクラウドファンディングで寄付金を集めた。技術的な調査に証言を照らし合わせながら掘削作業。9月25日、ついに坑口とみられる穴から水が湧き出た。坑口は、縦が160㎝、横幅が2m20㎝。坑道の中は松の木板で四方を囲んだ状態だが、土の圧力だけで支えられており、「想像以上の怖さ」(「刻む会」の上田慶司事務局長)だった。
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