【イオニュースPICK UP】阪神淡路大震災から30年、兵庫同胞追慕会
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去る1月17日、阪神淡路大震災から30周年を迎えた。
1995年の同日午前5時46分、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生。震源に近い神戸市の市街地をはじめ各地に甚大な被害が広がり、犠牲者は6434人に達した。
震災によって、同胞たちも多大な被害を被った。
125人の同胞・活動家、朝鮮学校学生たちの尊い命が奪われた。
1500余人が負傷し、1900戸を超える家屋が破壊された。4500人の同胞たちが避難生活を余儀なくされた。
地域の総聯支部、東神戸朝鮮初中級学校、阪神朝鮮初級学校、宝塚朝鮮初級学校、伊丹朝鮮初級学校をはじめとする朝鮮学校施設も被害を受け、正常な運営を継続できない状況に陥った。
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兵庫県神戸市長田区ピフレホール(長田区文化センター別館)で15日、阪神淡路大震災30周年に際した兵庫同胞追慕会が行なわれた(主催=実行委員会、主管=文芸同兵庫文学部)。ここに、総聯中央の南昇祐副議長、総聯兵庫県本部の金徹委員長、文芸同兵庫の沈達也委員長をはじめとする活動家や犠牲者遺族を含む350人の同胞が参加した。
2部構成からなる追慕会では、第1部で追悼式が、第2部では文芸同兵庫による公演「1.17 대를 이어 전해가리」(代を継ぎ伝えていこう)が披露された。また、会場ホールには昨年再結成された文芸同兵庫書芸部や朝鮮学校児童らの書芸作品が展示されていた。
はじめに、参加者全員で犠牲となった同胞たちに黙とうを捧げた。
南昇祐副議長は第1部のあいさつで、犠牲となった同胞たちを追慕し、遺族たちに哀悼の意を表したあと、莫大な被害を被りながらも祖国の大きな愛情の中、同胞たちの安全と生活の復旧のため尽力し、今日まで同胞社会の発展に寄与してきた兵庫県の活動家、同胞たちに敬意を示した。南昇祐副議長は「自然災害が多く発生する日本において同胞たちの命、健康、居場所を守るのは、同胞社会を担う総聯と活動家たちの重要な使命である」とし、兵庫同胞らが「今後も徳と情で結ばれた同胞社会を築いていくことを確信している」とのべた。
続いて、総聯兵庫県本部の金徹委員長が追悼の辞をのべた。
金徹委員長は、30年前、この地域が一瞬にして修羅場と化したこと、肉親や親しい同胞、住処を亡くした悲しみ、苦しみ、余震の不安や恐怖など当時に思いを馳せながら、震災翌日の1月18日、金正日総書記から慰問電文が送られてきたこと、1月25日には巨額の慰問金が送られてきたことに言及した。そして即時に全国の同胞たちが救援運動を繰り広げ、交通手段が麻痺する中でも連日のように救援物資を届けてくれたことについて話した。
金徹委員長は、「これからも『同胞第一主義』の精神で、同胞たちの幸せと後世たちの未来のために、より一層まい進していく」とのべた。
遺族、総聯活動家、朝鮮学校代表者らが同胞犠牲者たちに献花した。
追幕会には、震災によって20歳の若さで亡くなった崔秀光さんの父親で、震災の語り部活動を続けてきた崔敏夫さん(84)の姿があった。
第1部終了後、崔さんは記者に次のように話した。
30年の月日が流れたが、一瞬だった。今でもあの日のことが鮮明に思い浮かび、恐怖を感じる。成人式で朝大から帰省していた次男の秀光を、震災で崩れた家の下で亡くした。悪いことなど何もしていないのに。ウリハッキョの教員になろうと一生懸命頑張っていたのに。
秀光の同総生たちが結婚し、子どもを連れて家に来てくれる姿を見ると、本当だったら息子も…という気持ちになる。
朝大で学ぶ孫がつい最近、20歳の集いに参加した。正月に家族親戚で集まったが、朝大から地元に帰省してきた孫の姿を見ると、嬉しいのに、複雑な気持ちも湧く。
30年が経っても変わらず思うのは「生きて自分の命を守ってこそすべきことをできる」ということ。
いつ来るか分からない大地震は本当に恐ろしい。世の中の人びとは、どれほどその怖さを感じているだろうか。「自分は大丈夫」―これが一番怖いこと。だからこれからも一人でも多くの人に語り続けていく。三男・秀英も語り部の務めを引き継いでくれた。
とりわけ今日を契機として、皆が少しでも問題意識を持ってくれれば。
第2部の公演には、文芸同兵庫文学部、音楽部、書芸部のメンバーが出演した。
「今日の公演を通じて、震災当時を振り返り、震災体験のない新しい世代の方々に伝えていこうと実行委員と力を合わせて準備してきました。生命の大切さ、祖国や同胞からの温かい愛情、団結力の重要さを再確認し、復興に繋げた貴重な教訓を確認できれば幸いです」(沈達也委員長)
震災直後を記録した映像や、復旧に立ち上がる同胞たちのようす、関係者たちのインタビュー、さらには30年の時を経たこの地で、地域の朝鮮学校の子どもたちが目を輝かせながら一生懸命に学ぶ姿などを込めた映像を背景に、震災をテーマにした数々の詩が朗読された。
クライマックスでは、阪神淡路大震災から30年を迎え手がけられた歌「神戸の夜空に(고베의 밤하늘에)」(作詞:沈達也、作曲:千守日)を合唱した。
閉会後、女性同盟兵庫顧問の曺貞順さん(75)は「今日の集まりを通じて、30年前のことを改めて思い出した。震災当時、女性同盟も被災者救護活動で昼夜を問わず働いた。避難所でトックッやおにぎりを作って、同胞・日本市民関係なく皆に配った。その過程で、町内会長をはじめ日本の方との絆も生まれたことも大切な経験だ。当時を知らない世代が舞台に立ち、あの時の経験・教訓・記憶を繋いでくれたことが何よりもうれしい。民族教育を通じてたのもしい次世代たちが育っていることに力を得た。本当に来てよかった」と感想をのべた。
また、震災当時は西神戸初中の3年目教員だっという朴英植さん(55)は「卒業を間近に控えた中3の担任をしていたが、生徒たちは震災で散り散りバラバラになり、最後の学芸会もできず、卒業式でやっと集まれた」と当時を振り返り、「30年が経っても忘れることはないが、日々の生活の中で常に震災のことを考えていたかといえば、せわしない日常の中に当時の記憶が埋もれてしまっていたのも事実だ。これから私自身も当時の記憶を伝えていかなければと思う。公演中に流れた映像に、もう既に亡くなった先輩イルクンや教員たちの姿があった。あのとき、同胞たちを想いハッキョを想い試練を乗り越えてきたその精神は今も間違いなく受け継がれていると実感できた」と語った。
震災を知らない若い世代も思いは同じだ。
文芸同文学部の一員として舞台に立った、朝青兵庫県本部副委員長の金麗華さん(30)は「生後半年で震災にあったので当時の記憶はないが、ハッキョでは毎年のように震災のことについて学んだ。今回、公演の準備を進める過程で、当時、各地の朝青員たちがバイク部隊を組み被災地を訪れ救援活動にあたったことなどを改めて知り、朝青が同胞たちに与えられる力の大きさに気づかされた。祖国や先代たちが守ってくれたから今の同胞社会がある。支え合いや思いやりの精神を受け継ぎ、後代に繋いでいきたい」と話した。
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追慕会の詳報、阪神淡路大震災30周年に関するその他の記事は、2月中旬発売の月刊イオ3月号に掲載予定です。