京都朝鮮学校襲撃事件裁判勝訴から10年
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法的応戦の到達点と今後の課題/中村一成さんが講演
※集会は、「朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋(こっぽんおり)」「京都府・京都市に有効なヘイトスピーチ対策の推進を求める会」「同志社コリア研究センター」が共催した。同志社大学今出川キャンパス(京都市)にて行われ、オンラインを含め100人が参加した。
「21世紀の日立」
本講演のタイトルは、「法的応戦の到達点と今後の課題~『21世紀の日立』、勝訴確定から10年」です。1970年代、日立の就職差別裁判闘争で在日朝鮮人が差別を司法の場で訴え勝利したことに続いて、在日2世が定住者として権利伸張を求める運動が活発になっていきます。そして現代でも京都事件を契機として、裁判所で差別加害者にきちんと差別であると認めさせる闘いがいくつも起きていきます。私はそのことから京都事件を「21世紀の日立」と言っています。
では、最高裁決定から10年で前進したことは何か。
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ルポ・襲撃事件当時の教員と児童はいま
破壊された日常
2009年12月4日、京都朝鮮第1初級学校(当時)の校門前に押し寄せたレイシスト集団は、拡声器を用いながら、空気を割くような鈍い金属音とともに、ヘイトスピーチをまき散らした。「スパイの子どもやないか」「朝鮮学校を日本から叩き出せ」「キムチ臭いねん」…。
校内には、京都第1初級の児童に加え、交流のために同校を訪れていた第2初級、第3初級(当時)、滋賀初級の児童たちもいた。第1初級の2年生だった河侑奈さん(23、京都初級附属幼稚班教員)は、昼ご飯を食べ終え、歯磨きをしに外へ出たところ、襲撃者を目撃した。教室に戻ると教員がカーテンを閉め、じっとしているように言われたが、「よく状況がつかめていなかった」。教室内では、泣き出す児童もいた。
事件当時、同校の教務主任だった金志成さん(56、京都朝鮮初級学校教員)は、街宣に加え、レイシストたちが学校のスピーカーを切断した状況を前にしても、警察が何もしなかったことに衝撃を受けた。「私たちが一番大事にしている場所、守られなければいけない場所が、日本社会では守られないのかという悔しさと危機感でおしつぶされそうだった」と当時を振り返る。
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民族教育権と反植民地主義の歴史と現在
板垣竜太●同志社大学社会学部教授
「反植民地主義教育権」
京都事件の判決は、原告である京都朝鮮学園とその保護者をはじめとする関係者、弁護団、支援者たちが全力で裁判闘争をおこなった結果、少なくとも二つの意味で画期的なものとなった。一つは、この事件が人種差別撤廃条約で禁止された人種差別事件に他ならないことを判示したことで、これは中村一成氏の講演(編集部注:p48~49)にあるとおり、その後のヘイトとの闘いにとって重要な一歩として歴史に刻まれた。
もう一つは民族教育権保障の萌芽というべき判断が示されたことで、これが本稿であらためて注目したいことである。確定判決では「民族教育権」ということばこそ用いられなかったものの、民族教育をおこなう場としての朝鮮学校の「存在意義」や「社会的評価」、そして日本で民族教育を実施する「社会環境」が、侵害されてはならないものとして明記されたのである。これは、日本社会において朝鮮学校が民族教育を歴史的に守り抜いてきたという事実の重さが、司法にそう判断させたものと、私は理解している。
私は、民族教育権を、抽象的な権利の概念というよりは、歴史的な闘いに関わる概念だと考えている。朝鮮学校へのヘイトや弾圧は、外国人全般に対する排外的態度という一般論では決して理解できず、日本の朝鮮植民地支配以来の歴史、戦後日本にも続く植民地主義の歴史に位置づけてはじめて理解可能である。であるならば、民族教育権もまた植民地主義との闘いの歴史のなかに位置づけるべきものである。その意味では、民族教育権とは反植民地主義教育権と言い換えることもできる。10年前の判決も、反植民地主義教育権を獲得するための歴史のなかで捉える必要がある。
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以上が各記事の抜粋です。全文は本誌2025年2月号からご覧ください。