「ベガルタの太陽」、最後のピッチ/元プロサッカー選手・梁勇基さん引退試合
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文:全基一(朝鮮新報)、写真:盧琴順(朝鮮新報)
在日同胞プロサッカー選手としてJリーグ・ベガルタ仙台や朝鮮民主主義人民共和国代表で活躍し、2023年限りで現役を引退した梁勇基さん(43)の引退試合が昨年12月14日にユアテックスタジアム仙台で行われた。引退試合には、ベガルタのレジェンドの最後の勇姿を見届けようと11086人のサポーターが駆けつけた。
「梁勇基」一色に
スタジアムの最寄り駅から競技場へと続く「ベガルタロード」には、梁勇基さんの歴代ののぼりが設置され、サポーターたちは現役時代の梁さんを懐かしみながら、スタジアムへと歩みを進めた。
スタジアムに到着すると、正面には梁さんの写真とともに「RYANG YONGI LAST DANCE」と書かれたビッグバナーが掲げられ、来場者を出迎えた。
引退試合に先立ち、会場では出場選手たちとのミニゲームやトークショーなどさまざまな企画が催された。またこの日、ベガルタのホームゲーム時に発行されるマッチデープログラム「V-PRESS」が7年ぶりに梁さんの特集仕様で復刻するなど、スタジアム全体が「梁勇基」一色に仕上げられた。
ベガルタに所属した選手の引退試合は、同クラブ設立30年で初めての開催。それほど梁さんが残した功績はクラブやサポーターたちにとって偉大なものだった。スタジアムには梁さんの背番号「10」のユニフォームを着たサポーターたちの姿が多かった。
「初めて買った選手のユニフォームは梁勇基さんだった」と話すのは、サポーターの幕内響介さん(23)。2011年3月の東日本大震災当時、小学3年生だったという幕内さんは「勇基さんのプレーで多くの力と勇気をもらった。勇基さんは仙台市民の心頼りの大切な存在だ」と熱く語る。
サポーターの戸田大輔さん(50)は「入団当時から応援してきた。現役引退は寂しいけれど、梁さんには感謝しかない。J1昇格、東日本大震災と、私たちと苦楽をともにした梁さんは仙台の象徴だ」と話した。
好プレー続出
この日のメインイベントの引退試合は、クラブ史上最高位のJ1・2位(12年)を記録した当時のメンバーを中心に構成された「ベガルタ仙台レジェンズ 2011―2013」と、梁さんと親交の深い選手たちが集結した「梁勇基フレンズ」が対戦。フレンズには、梁さんと共に在日同胞サッカー界の一時代を築き、朝鮮代表として汗を流した安英学さん(46)や李漢宰さん(42)らも参加した。
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