【特集】歴史に触れる ミュージアムを巡る旅
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今年は朝鮮半島が日本の植民地支配から解放されて80年になる年です。私たちの過去・現在・未来について考えるため、日本各地にある在日朝鮮人の歴史を見せてくれるミュージアム(博物館、資料館)を訪ねました。また、朝鮮学校の中に置かれた沿革展示室、歴史資料室も紹介します。マイノリティの歴史を記録するミュージアムやライブラリーが持つ意義についても考えます。
在日コリアンの来歴をたどる
日本各地の在日朝鮮人関連のミュージアム4ヵ所を訪れ、在日朝鮮人の歴史、生活と文化、コミュニティの記憶などをたどります。
①ウトロ平和祈念館
植民地・貧困・差別から共生の未来へ
ヘイト乗り越え開館
「ウトロに生きる ウトロで出会う UTORO. WHERE WE LIVE. WHERE WE MEET.」
ウトロ平和祈念館の入口付近に設置されたプレートに書かれている言葉だ。この言葉は祈念館のテーマでもある。
祈念館は2022年4月、京都府宇治市のウトロ地区に開館した。
在日朝鮮人集住地域であるウトロの歴史は日本による朝鮮植民地支配に端を発する。戦時中の1940年に日本政府が推進した京都飛行場建設に集められた在日朝鮮人労働者たちの飯場跡が現在のウトロ地区の原型となった。45年、日本の敗戦によって飛行場建設は中断されるが、朝鮮半島の故郷に帰れなくなった人びとは戦後もウトロに住み続けた―。その後も住民たちは貧困と差別という環境の中でさまざまな困難に立ち向かっていく。1980年代後半に起こった立ち退き問題も、支援者とともに粘り強く闘い続け、乗り越えた。
祈念館の建設は2007年に策定された「ウトロまちづくり計画」の中で「ウトロの歴史を記録し、未来へとつなぐ祈念館構想」が生まれたのを機にその第一歩を踏み出した。18年には建設推進委員会が結成され、住民、日本人支援者、韓国市民らによって準備が進められていった。
21年8月、ウトロ地区で発生した放火事件で家屋7棟が全・半焼、祈念館内に展示する予定だった立て看板や生活資料なども多く焼失してしまった。祈念館はこのようなヘイトクライムも乗り越えて、開館にこぎつけたのだった。
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②大阪コリアタウン歴史資料館
ともに生きてきた友好の軌跡
日本でも名だたる在日コリアン集住地・大阪。生野区桃谷にある大阪コリアタウンの一角に建つ大阪コリアタウン歴史資料館(2023年4月オープン)は、人びとの暮らしの中に溶け込んでいる。柔らかな光がほどよくそそがれる館内では、流れる時間までをも温めてくれるような感覚を覚える。資料館理事長であり画家の洪性翊さんがもともとアトリエで使っていた建物を、無償で借りて運営されている。
資料館では、この地の人びとが紡いできた友好の軌跡を垣間見ることができる。展示テーマは大きく4つ。▼ともに学びともに生きる街(現在~1989年)▼コリアタウン この街を生きる(88年~74年)▼地図から消えた葛藤の町「猪飼野」(73~60年)▼人びとの生活を支えた朝鮮市場(59~45年)とし、入口から順に現在から過去へ歴史を遡っていくのが特徴だ。もちろん、過去から現在へ下っても、興味がある時期から見ていくのも、見方は人それぞれ自由でいい。
INTERVIEW
分かちあえる社会を目指して〟髙正子館長(72)
―この地域について教えてください。
この地は朝鮮人集住地であることに加え、朝鮮半島にあった国家・百済(紀元前18年~660年)の時代から続く友好の歴史があり、1000年以上も前から朝鮮ルーツの人と日本人が助け合って生きてきました。今も差別がないわけではありませんが、他の地域と比べ、皆がありのままで暮らせる場所です。
何より、1世たちがずっと文化を発信し生業を営んできたことによる、場の強さ、大きさがあります。私が朝鮮初級学校に通っていた頃、隣の小学校の児童から「ニンニクくさい」と言われたことがあります。キムチやニンニクは今でこそ日本人にも好まれていますが、当時はまだまだ拒否感を示す人も多く、朝鮮人差別のシンボルのような言葉で使われていましたね。辛い思いをしても、家に、この場所に帰れば心を取り戻せた。このように、ここは在日同胞にとっても、ほかのマイノリティにとっても自分を取り戻す場なのだと思います。
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③神戸在日コリアンくらしとことばのミュージアム
ルーツと出会う場、コミュニティづくりの場
歴史の息遣いが感じられる展示を
昨年12月、神戸市長田区に開館した「神戸在日コリアンくらしとことばのミュージアム」。2014年に「コリア教育文化センター」「神戸在日朝鮮人生活文化資料館設立準備委員会」「長田在日大学運営委員会」が合わさって新長田駅近くに設立された一般社団法人神戸コリア教育文化センター(併設コミュニティカフェ・ナドゥリ)を改装して作られたもので、運営も同センタ―が担っている。同センタ―はこれまで民族教育推進事業およびコリア文化育成・普及事業、在日朝鮮人の生活資料などの収集保存事業などを行ってきた。
長田区は日本有数の朝鮮人集住地域だ。1912年ごろから39年にかけて日本の植民地支配下の朝鮮半島から神戸市域に渡ってきた朝鮮人が21人から3万7952人へと大幅に増えたとされている(※)。とくに多かったのが慶尚南道・北道の農村出身者だったという。長田には、当時盛んだったゴム産業の仕事に就くため1920年代後半以降に集中的に移住してきたとも言われている。
ミュージアムの1階には100年以上にわたる在日朝鮮人の足跡、暮らしや文化などを伝える写真やパネルが展示されている。また、在日朝鮮人1世の1950年代の生活を立体的に表現したジオラマも展示されており、聞き取り活動を通じて語られた長田在住の在日1世、2世の生活史(ライフヒストリー)を映像記録として見ることもできる。
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④笹の墓標強制労働博物館
市民の力で再建、強制労働の歴史と出会う場
朱鞠内の地で知る
「過去の歴史の事実を語り継ぎ、東アジアの人たちが未来に向かって心から打ち解け合い、つながっていく場所になるように育てていきたい。過去を忘れず、国境を越えて和解と平和を求めていくことが私たちの願いだ」
笹の墓標強制労働博物館の開館記念式典(昨年9月28日)で、東アジア市民ネットワークの殿平善彦代表(79、笹の墓標展示館再生実行委員会共同代表)があいさつした。
博物館は、2020年に積雪の重みで倒壊した歴史資料館・笹の墓標展示館を引き継いで建てられた。豪雪・極寒の地、北海道朱鞠内に位置する。札幌市内から車を走らせること約3時間。博物館まで足を運ぶのはひと苦労だが、「朱鞠内に実際に来て、学んでほしい」という関係者たちの思いからこの地で運営を続けている。
1935年から43年にかけて北海道北部の幌加内町朱鞠内地区では雨竜ダム建設(38~43年)と名雨線(後の深名線)鉄道工事(35~39年)に朝鮮人と日本人数千人が動員され、200余人が犠牲となった。当時、遺骨は朱鞠内の共同墓地の奥に埋められた。戦後、共同墓地の奥は私有地となり、やがて熊笹の生い茂る藪となった。死者は故郷に帰ることなく、熊笹の藪の下に埋められ続けたのだ。
76年、殿平代表が住職を務める一乗寺(北海道深川市)に事務局を置く空知民衆史講座の人びとが光顕寺で犠牲者の位牌80基余りを発見し、犠牲者埋葬地を調査。80年から4年連続して、朱鞠内住民と空知民衆史講座により笹薮の下から16体の遺骨が発掘され、遺族を探して届ける活動が続いた。
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朝鮮学校と地域の歴史を知る
東京、茨城、北海道にある朝鮮学校3校に設置された歴史資料室、沿革展示室を紹介します。
①東京朝鮮中高級学校沿革展示室
歴史、現在、未来が一目で
学校創立75周年となる2021年、学校と連合同窓会の共同企画で開設した東京朝鮮中高級学校沿革展示室(以下、沿革室)。学校の歩みを年表と写真、各種展示物で見せてくれる。
「セットン」をイメージした七色のチョークで装飾された銘板が入口で来場者を迎えてくれる。
沿革室は入口から順に「歴史」「現在」「未来」の3つの展示ゾーンが設けられている。「歴史」ゾーンでは学校の歩みが年表と写真で10年単位で整理されている。年表には、年を挟んで左に学校の歴史、右に日本社会と朝鮮半島での出来事が刻まれている。学校の沿革を当時の政治・社会情勢というより広い歴史的文脈の中で理解できる作りになっている。創立から今日まで1年も欠かすことなく同校での出来事が記載されているのも特徴だ。学校認可取得時の書類や草創期の卒業証書、教科書、学校新聞など貴重な資料も展示されている。
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②茨城朝鮮初中高級学校民族教育歴史資料室
学校閉鎖反対声明文などレア資料も
民族教育歴史資料室「뜻(想)」は2013年にオープンした。茨城県における在日朝鮮人の民族教育が今日までいかにして守られ、発展してきたのかを数百点におよぶ各種展示物で紹介している。
資料室の基礎となったのは、1990年代末から有志によって行われた地域の歴史保存活動だ。2001年には冊子「茨城における在日朝鮮人の歩み」を発刊(2023年に改訂版)。09年にはこの冊子の内容を基に映像作品「未来をあきらめなかったものたち」を制作し、同年開催の「ウリ民族フォーラムin茨城」で上映した。
そして、「この間に集めた資料を展示して、民族教育の歴史を学べる施設を」と学校創立60周年を機に資料室を開設した。
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③北海道同胞歴史資料館
地方単位初の同胞歴史資料館
2011年10月22日、北海道朝鮮初中高級学校創立50周年に際し、同校寄宿舎1階に開設された。地方単位では初めて常設された在日同胞の歴史資料館だ。
かつて北海道では、多くの朝鮮人が炭鉱やダムなどで強制労働を強いられた。冬の極寒の地でのそれは、日本で最も死亡率が高かったと言われるほど過酷なものだった。解放後も北海道で暮らした1世たちは、広域に散らばりながらも同胞コミュニティを築き、子どもたちの民族心を育もうと朝鮮学校を創った―。
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寄稿 在日朝鮮人の記憶を記録すること
朝鮮/韓国/在日を知るためのミュージアム・ライブラリー
藤井幸之助●NPO法人猪飼野セッパラム文庫代表理事、同志社大学嘱託講師
朝鮮解放・日本敗戦八〇年を迎えた。何が変わり、何が変わっていないのか? 日本の植民地主義は反省されるどころか、悪化していく気配さえある。
本稿では百年を越える在日朝鮮人の記憶を記録し、歴史・文化・労働・教育などを知るためのライブラリー・ミュージアムを振り返りつつ、これからを展望していきたい。
日本の公教育では近現代における移民史をほとんど教えない。なぜ朝鮮人が日本にくらしているのか、日本人が南北米ほかにくらしているのかを知る機会もない。これらを合わせて日本の歴史を構成する。
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以上が記事の抜粋です。
全文は2025年3月号でご覧ください。
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