ハッキョを支える、裏方さんたち
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小さな朝鮮学校の保護者になった初めての夏、4人の子どもをこの学校に通わせた先輩に呼び止められた。「毎年、ハッキョの夜会で運動場いっぱいに飾るちょうちんを毎年コツコツと担当している同胞がいる、どうしてイオはこのような人を取材しないんだ!」と。
朝鮮学校はブラジル学校やインド学校などの外国人学校と同様、日本の国から正式な学校として認められていないので、国からの補助は一切なく、地方自治体が支給する補助金も微々たるものだ。お金がないので、学校運営は常に緊縮財政。実情は結構厳しいものがあるが、人が集まり、各々がアイデアを搾り出しながら学校運営を維持している。
もちろんいろいろんな形で節約はしているが、しわ寄せが来るのは人件費。当然教員や職員を多く雇えないし、授業料だけでは先生方の給料をまかなえないので、学校ごとに様々な対策を立てている。老朽化した設備や備品を揃えようと、オモニ会やアボジ会が休日をなげうって惜しみなく労働奉仕する姿は、どのハッキョにも見られる光景だ。
季節ごとのイベントも地域の同胞なしにはこなせない。正月の餅つき大会の時には、もち米をどっさり持ってきてくれるハラボジがいるし、地域の子どもが集まるイベントの日には幼稚園児の祖母にあたる女性たちが率先して絵本の読み聞かせをしてくれる。物語の世界に吸い込まれる子どもたちを見ながら思った。子どもたちは先生以外の人が何かしてくれるだけでも新鮮な気持ちになる、子どもはマンネリの日常ではない、非日常が好きなんだ!と。
各地のハッキョを取材に訪れると、通学バスの運転手さんや教育会の職員さん、校長先生ですらも、子どもの遊び道具を修繕されている姿を見かけるが、ある学校では、一般の同胞が電気工事を担当していらした。
また、あるハッキョでは歯医者さん、看護師さんが課外授業を受け持ってくれたり、助産師さんが命について講演をしたハッキョもある。自分の専門知識をもって子どもの視野を広げてくれるありがたい存在だ。
運動会や学芸会の日も父母や親戚、祖父母たちが総出でイベントを盛り上げてくれるのだが、運動会の帰り道、知人の高齢者が「ハッキョのOB,OGたちが月1回でも集まってゴミ拾いでもすればいいのにね」と言ってくれた。おそらく、ハッキョに足を踏み入れて子どもの顔を見ると、みんな何かをしてあげたくなるのだと思う。
今、朝鮮学校に一番必要なものはなんだろう。
もちろんお金は必要だし、大事。
だけど、ハッキョに集まる「人」こそが財産だと感じる。
学校に集まる「人」とは、漢字一文字で表せられないほど背景はさまざまだし、子どもににそそぐまなざしもひとつのものではない。
なかには20数年前に卒業して母校が大好き、という人もいるし、孫が通っているという祖父母世代もいる。また子どもや孫は日本の学校に通っているけれど、地域のコミュニティとしてのハッキョを大切に思っている人であったり…。
ウリハッキョの支え方は、100人いれば100通りあると思う。
6月号の特集は「ウリハッキョを支える人」
あなたの街の、あなたのハッキョではどんな人がハッキョを支えていますか?(瑛)
無償化してほしいと思います。
これだけ、皆さん努力されているのに、なんか報われてない感じがします。普通の学校とほとんど変わらないのに(肖像画を掲げていることには、少しだけ抵抗はあるけど)。他の外国人学校も、随分と苦労されているようですね。日本政府は、外国人に厳し過ぎだ!他の先進国を少しは見習えよと思う。日本の政治家(もどき)は、自分のことしか考えてないようです。直ちに、すべての外国人学校も、無償化の対象に!