もう一つの沖縄、済州島
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沖縄と済州島はともに東アジアに浮かび、
豊かな自然と独自の文化・歴史を持つ。
日本の植民地支配、国家暴力の無残な犠牲となった沖縄戦、済州4.3事件。
そして今、米国の世界戦略の要石としてさらなる軍事化が進む――。
幾重にも重なる抑圧と抵抗の歴史が刻まれた島、沖縄と済州島。
二つの島が共有する記憶と状況、目標を探り、東アジアの未来を展望する。
●ルポ・沖 縄 終わらない占領と抵抗の風景
6月。悲しみと痛みを記憶し、全土が深い祈りに包まれるこの季節に沖縄を訪れた。「癒しの島」などという幻想はそこにはなく、青い空も、宝石を映したような海をも凌駕する存在感を放ちながら、米軍基地がただ佇んでいた。占領と犠牲で塗り固められた大地―、そこには虐げられてきた主たちの根強い抵抗の気概が、確かに息づいていた。
●済州島 真の平和の島をめざして
趙成鳳●ドキュメンタリー映画監督
済州島はその風光明媚な自然環境から、生物圏保全地域、世界自然遺産、世界地質公園に指定され、世界で唯一のユネスコ自然科学分野3冠王を誇る地である。同時に、植民地支配からの解放後、東西冷戦と民族分断のはざまで、多くの島民が国家権力の犠牲になった4.3の痛みと恨が刻まれる地である。今、済州江汀村では韓国海軍基地建設により自然は破壊され、住民たちは分裂と葛藤にさらされている。
●解説・国家安保から住民の平和へ 沖縄と済州を結ぶ平和ベルトの構築
徐勝
温帯と亜熱帯に位置する、ほぼ同面積の済州島と沖縄島は、
一方は火山島、他方はサンゴの堆積からなるという
地質的な組成の相違はあるものの、
自然、景観、文化において類似しており、歴史的にも類似点は多々ある。
●記憶の継承
命ある限り、残していきたい歴史
「済州4.3事件」体験者 金東日さん(80)
私は1932年、済州島朝天面朝天里で生まれ、13歳の時に祖国の解放を迎えました。
しかし済州島はアメリカの軍政下におかれるようになり、島民たちが抵抗する事件が相次ぎました。
「済州島は(思想的に)問題だ」と、はげしく弾圧されるようになっていきました。…
「生きよう」、家族救った母の言葉
「集団自決」生存者 吉川嘉勝さん(73)
米軍が渡嘉敷島に上陸した1945年3月当時、私は6歳でした。27日の晩、私たちは「鉄の暴風」の中、島最北端の北山を目指して出発しました。翌日、辿り着いた雑木林で村民たちは親族ごとに円陣を組んで座っていました。…
●エッセイ 被害者にも、加害者にもなってはならない ―かの地で実感した五重の脅威
目取真俊 ●作家
2000年5月に朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮)に行く機会があった。
沖縄平和友好訪問団という百人ほどのツアーで、板門店やチュチェ思想塔、歴史博物館、朝鮮革命博物館、
学校施設、病院、妙香山などを見学した。夜は「琉朝友好交流の夕べ」や沖縄側の答礼晩餐会が催され、
ホテルで朝鮮の皆さんと酒を飲みながら交流する機会もあった。…