始まりのウリハッキョ編 Vol.1 創立70年、荒川土手の夕陽は永遠に~東京朝鮮第4初中級学校
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在日朝鮮人の民族教育が始まって70年を迎えようとしている。東京有数の同胞集住地域である足立では、祖国解放直後の1945年9月に現在の朝鮮学校の原型となる「国語講習所」が産声を上げた。
民族を取り戻す
『足立から見た在日コリアン形成史』(姜徹著、雄山閣)によると、梅田町(現在の西新井栄町)にあった東亜工業株式会社の工場の一部を借りて、子どもたちに対する教育が始まった。校長は、同社社長の尹柄玉さんが務めた。東京第4初中の沿革史には国語講習所が開設された9月13日を学校の創立記念日としている。
その後、千住旭町、五反野南町でもそれぞれ日本の施設を借りて教育が始まった。そして、区内3ヵ所で行われていた民族教育を統合する形で、47年2月、現在の本木1丁目にあたる場所に東京朝鮮足立初等学院が建設された(48年4月から東京朝鮮第4小学校)。校長は、のちに東京朝鮮中高級学校の校長となる林光澈さんだった。