1945-1950解放を問い直す
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1945年8月15日は朝鮮民族にとって解放の日である。
そして同時に分断が始まった日でもある。
朝鮮半島の分断と冷戦の激化にともなう政策を進めたGHQ(連合国総司令部)と、
植民地時代の朝鮮人に対する支配構造を継続させようとした日本政府による弾圧により、
在日朝鮮人は解放後も闘いと受難の歴史を歩まなければならなかった。
在日朝鮮人にとって解放とはなんだったのか?
今年は8.15から70年を迎えるが、在日朝鮮人の根本を形作ったとも言える
1945年から1950年までの5年間を検証する。
1945年に解決されなかったこと
暴力により封じ込めらた在日朝鮮人
鄭栄桓 ●明治学院大学准教授
1946年12月20日、東京で開催された朝鮮人生活権擁護全国大会
「1945年に解決されなかったこと」とは何だったのか。
解放を迎えたにもかかわらず、朝鮮は分断され真の意味での「独立」はいまだ実現していない。
冷戦構造のなかで日本の朝鮮支配責任は追及されることなくいまに至っている。
在日朝鮮人の「解放70年」も、当然ながらこうした分断と植民地支配責任未済という
大きな状況のなかにあるが、本稿では特に解放直後の時期に注目して、
在日朝鮮人が当時「解決」したかったことは何であったかを改めて問うてみたい。
在日朝鮮人のなぜ?なに?
金哲秀 ●朝鮮大学校朝鮮問題研究センター・在日朝鮮人関係資料室長
・在日朝鮮人はなぜ日本に来たの?
・在日朝鮮人はなぜ解放後もたくさん日本に残ったの?
・在日朝鮮人は解放後、どのように扱われたの?
・解放当時、在日朝鮮人のくらしはどうだったの?
・在日朝鮮人の民族教育はどう始まったの?
・解放の後、在日朝鮮人はどのような活動を始めたの?
解放が在日朝鮮人にもたらしたもの奪ったもの
解放後の在日朝鮮人は、何を求め、どのようにそれを実現させたのか。また、それはどのような形でGHQと日本当局により弾圧されたのか。故郷への帰還、権利擁護、民族教育、法的地位など、解放後の在日朝鮮人の切実な問題に焦点を絞り、当時の資料と証言をもとにまとめる。
大同団結して作られた在日朝鮮人の組織
帰国支援、権益・生活擁護に奔走
1945年10月15日、GHQの建物の前に集まる朝連のメンバー
今に受け継ぐ尊い闘いの財産
民族教育権擁護運動の原点「4・24教育闘争」
1948年4月24日、学校閉鎖令に反対し兵庫県庁前に集った在日朝鮮人
「二重の地位」という桎梏
解放後、在日朝鮮人の法的地位の起源
韓国への強制送還に反対する同胞たちの街頭デモ(50年代初頭)