始まりのウリハッキョ編vol.12 抵抗で繋がれた民族教育~山口朝鮮初中級学校
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山口朝鮮初中級学校は来年、学校創立60周年、民族教育実施70周年を迎える。閉鎖命令に対する抗議デモ、学校閉鎖期に続けられた民族教育からは、山口同胞たちの抵抗の歴史が見えてくる。
山口民族教育闘争
山口朝鮮初中級学校が位置する場所は、日本による朝鮮植民地時代、刑務所に火葬場、練兵所などに囲まれていた。このような、人がほとんど立ち入らない場所に、トンクルトンネ(糞窟村)・セドンネ(新しい村)・テバットンネ(竹畑村)と呼ばれた3つの朝鮮人部落があった。1945年の解放直後から県内各地で国語講習所が開設され、46年4月にこれらが統合改編され朝連下関初等学院が創立される。場所は、現在の山口朝鮮初中級学校のすぐそばにあった「旧昭和館」だ。「旧昭和館」は1928年に下関市大坪に建設され、日本の敗戦まで「内鮮融和施設」として使われていた。
48年1月24日、文部省から「朝鮮人設立学校の取扱いについて」が通達され、山口県では、同年3月31日を期限として県下の朝鮮人学校に閉鎖が通告された。閉鎖期限の日には山口県庁前に約1万人の在日朝鮮人が詰め寄り、閉鎖に反対するデモを行った。