【特集】「アリランー悠久の旋律」
広告
朝鮮半島はもちろん、在日朝鮮人社会でも歌い継がれてきた「アリラン」。
アリランは、激動の朝鮮近現代史とともに、日本による植民地時代の苦しみや
抵抗を象徴する歌から、統一の願いをこめた希望の歌へと進化してきた。
アリランの起源と歴史をひもときながら、日本や朝鮮半島で生まれた数々のアリラン文化を紹介する。
●アリラン―それは精神文化のルーツ 李喆雨・音楽プロデューサー
ひとつの民族がひとつの民謡を代々全土的に歌い続けてきたという例は世界的にもまれなことであるが、わが祖先は民謡「アリラン」を民謡としてだけではなく、広義には庶民の伝統文化の象徴として、また精神文化のルーツとして受け継ぎ、その集大成として「アリラン文化圏」を形成するにいたっている。
2014年12月、パリで開かれた第9回国連教育科学文化機構(ユネスコ)世界無形文化遺産委員会は、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北と略す)の伝統民謡「アリラン」が、人類無形遺産代表目録に登録されたと発表した。
それに先立つ2012年12月には、同じくユネスコの委員会で大韓民国(以下、南と略す)の「アリラン」が登録されたことにより、朝鮮半島全土の「アリラン」が全て登録されたことになる。
●心の峠を越えていく「恨とニムの精神」アリラン旋律は約100種、歌詞は3000種を超え
朝鮮半島に分布している「アリラン」の旋律は、約100種と思われ、歌詞にいたっては3000種を超えると思われるが、南・北で統一した見解が無いため、確定できないのが現状である。しかし、「アリラン」の歌詞で一貫して歌われている内容は、「恨(ハン)の精神とニムの精神」である。その典型的な例が「本調アリラン」の一番の歌詞である。
●アリランのヒットは銀幕から・天才映画人・羅雲奎とアリラン
「アリラン、アリラン、アラリヨ」から始まる「新アリラン」は、1926年に朝鮮が誇る映画人・羅雲奎が監督・脚本・主演した映画「アリラン」のテーマソングだった。映画の大ヒットにより朝鮮全土に広まった「新アリラン」は植民地支配にあえぐ民衆の心を大きく勇気づけた。