「韓国併合」から100年 遺族の証言を聞くつどい 「戻らなかったアボヂ」
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とき:8月21日(土)13:00~17:00(12:30開場)
ところ:大阪産業大学 梅田サテライト・レクチャーA室(大阪駅前第三ビル19階)
参加費(資料代): 500円
【主催】紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会・太平洋戦争被害者補償推進協議会(韓国)
【後援】東北アジア歴史財団(韓国)
【協力】在韓軍人軍属裁判を支援する会・同胞保護者連絡会(大阪)・東大阪民族講師会・民族教育をすすめる連絡会・コリアン・マイノリティ研究会
証言①アボヂは海南島で死んだ」ハングァンス(韓光洙)さん
日本政府の閣議決定にもとづいて、1943年~44年に、朝鮮総督府は、朝鮮各地刑務所の獄中者を選んで「朝鮮報国隊」に入れ、2000人を海南島に強制連行しました。 「朝鮮報国隊」の人たちは、周囲から隔離され、強制的に飛行場や道路を作らされたり、鉱山などで働かされました。生き残った人たちは、1945年夏に、「朝鮮村」で虐殺されました。「朝鮮村」には、いまも数百体の遺骨が埋められています。
韓光洙さんの父、韓琦錫さんは、海南島南東部の陵水に連行され、1944年2月に亡くなりました。妻の李康姫さんが受けとった箱には、小さな骨が入っていたそうです。
韓琦錫さんの古い戸籍簿には、「1944年弐月拾七日午後五時海南島陵水朝鮮報国隊ニ於テ死亡京城刑務所長朝鮮総督府典獄渡邉豊通報同年参月参拾壱日受付」(原文は元号使用)と日本語で書かれています。
証言②「アボヂを「ヤスクニ」からとりもどすたたかい」イヒヂャ(李煕子)さん(太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表)
1944年2月15日、「国民徴用令」によって江華島の自宅からアボヂ李思炫は、戦場に連行された。そのときわたしは一歳を過ぎたばかりだった。 1992年にわたしは、はじめて、アボヂの死亡を『被徴用死亡者連名簿(旧日本陸軍在籍)』で確認した。
アボヂは、軍属として1945年6月11日に中国の広西省全県180兵站病院で死亡していた。1997年にようやくみることができた『支那派遣軍第6方面軍第11軍隷下部隊留守名簿(其二)』にもアボヂの名があったが、そこには、‘合祀済’という印鑑が押されてあった。
アボヂは、日本人戦犯たちと一緒に、‘靖国神社に合祀’されていたのだ。2003年に、アボヂの死にかんする真実にもう一歩ちかづく資料『兵籍戦時名簿』を発見した。
「ヤスクニ」には、いまも、2万1000人を越える韓国人と2万8000人を越える台湾人が、「強制合祀」されている。
連絡先:紀州鉱山の真実を明らかにする会 http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/
和歌山県海南市日方1168 キム チョンミ方
海南島近現代史研究会 http://www.hainanshi.org/
大阪産業大学経済学部 斉藤日出治研究室