手探りで探した民族の音色/始まりのウリハッキョ編vol.40 朝鮮学校と民族楽器
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朝鮮学校の子どもたちに今も民族音楽の息吹を伝え続ける民族楽器。その歴史は1966年5月、東京朝鮮第1初中級学校(東京都荒川区)に祖国・朝鮮民主主義人民共和国から民族楽器が送られてきたことから始まる。
22種97点の楽器
5月4日、同校で祖国から送られてきた民族楽器の伝達式が行われた。総聯東京都本部の活動家、地域同胞たち、都内の各朝鮮学校の児童・生徒たち3000人あまりが集まった。
送られてきた民族楽器はカヤグム、ヤングム、ヘグム、ピリ、チャンセナプなど22種97点におよぶ。このニュースを伝えた5月6日付朝鮮新報の記事は、「一つの大きな管弦楽団を編成できる規模」だと報じた。
民族楽器重奏団「民楽」の団長を務める康明姫さん(61)は当時、東京朝鮮第1初中級学校の初級部3年生で、この伝達式の場にいた。「とても感動したことを覚えています」と康さんは当時を振り返る。
康さんは祖国から民族楽器が送られてきたことをきっかけに民族楽器を手に取った。弾いたのはヤングム。数々の大会で優勝・入賞を重ねた。東京朝鮮中高級学校の高級部に進んでからはソヘグムを始めた。朝鮮大学校を卒業後は金剛山歌劇団で演奏家として活躍。90年に民族の「民」と楽器の「楽」を合わせた民族楽器演奏家らのグループ「民楽」を設立した。
祖国の息吹が感じられる民族楽器は東京朝鮮第1初中級学校に送られてきたのを皮切りに、その後、日本各地のほかの学校にも送られてきた。そして、各地の学校で次々と民族楽器サークルが生まれた。