“存在の奇跡”―地理にたくし 教員編vol.28 地理学者・司空俊さん
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生まれた朝鮮を離れ、日本の教育を受けた一人の青年が朝鮮地理に目覚め、研究者、教育者として歩んだ道のり―。6月3日に生を全うした在日朝鮮人地理学者の生涯を追った。
化石に目覚め
司空俊さんが、長野県上田の工事現場で働いていた父を追って母や姉と日本へ渡ってきたのは1941年のこと。さかのぼると、祖父は46歳で「抗日闘争に行く」と満州に向かったきり戻らず、三代続けての離郷だった。
8人きょうだいの長男だった父は、長野、京都、三重、福井の土木、鉄道、飛行場現場で重労働を続けながら家族を養っていた。45年8月の祖国解放は福井県吉田郡の飯場で迎えた。同胞たちの祝う会に参加し、その帰りにアイスキャンディーを食べた「8・15」の日を今でも鮮明に覚えている。中学時に朝鮮戦争が勃発。GHQが在日朝鮮人の子どもを捕まえに来ると噂が流れるたびに、日本学校の担任が身を隠すよう知らせてくれた。
地理に目覚めたのは、福井大学時代だった。家計が苦しく、土木工事、毛布材料製造、家庭教師、豚の飼育、夜警、荷運びなどアルバイトは何でもしたが、土方の仕事の最中、土を掘るとたまに樹木や植物の葉の化石を手にとることがあった。
「目を閉じれば1億年、5億年、10億年前に時間が短縮されるような…。どの化石とて同じ顔をしていなかった」。時空を飛び越える化石の魅力に取り付かれてしまった。しかし、ある同胞のおじさんから、「大学生だから化石の名前もわかるだろう」と聞かれ、何も知らなかったのが悔しく、独学で学びだした。「化石をやり出したら地層を知らなければならず、地層を知ろうとすれば岩石を知らなくてはならない。また、それを知ろうと思えば地殻変動を学ぶ必要がありました」。
サゴン・ジュン
1936年慶北道生まれ。41年に渡日。60年に福井大学学芸学部卒業後、兵庫県の朝鮮学校に教員として赴任。66年から2003年まで朝鮮大学校歴史地理学部教員、学部長を歴任(その後は非常勤講師)。朝鮮民主主義人民共和国地理学博士。自然地理学が専門。主著に「朝鮮便覧」(1-4巻、朝鮮文化社)、共著に「入門朝鮮民主主義人民共和国」(雄山閣)など。論文多数。