“カウンター”としての出版、発信を(フリージャーナリスト・安田浩一さん)
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在日コリアンを罵るヘイトスピーチが日本各地で増えるなか、その闘いの最前線といえる川崎で差別根絶に向けて闘う記者がいる。隣人を「死ね」「殺せ」とまで言い放つ日本社会で、人々が共に暮らすことなどできないと愚直に取材を続けている。
文・写真:黄理愛
フリージャーナリスト・安田浩一さん
やすだ・こういち
1964年生まれ、静岡県出身。「週刊宝石」「サンデー毎日」記者を経て2001年よりフリーに。労働問題、差別、人権問題などを中心に取材・執筆活動を続けている。12年「ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて」(講談社)で日本ジャーナリスト会議賞、第34回講談社ノンフィクション大賞受賞。「外国人研修生殺人事件」(七つ森書館)、「ルポ 差別と貧困の外国人労働者」(光文社)、「ヘイトスピーチ「愛国者」たちの憎悪と暴力」(文藝春秋)、「ネット私刑(リンチ)」(扶桑社)など著書多数。
「無自覚の差別」を追い続ける
変わりゆく社会の中で
―今年2月に「歪む社会歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う」(論創社)が刊行されました。どのような内容でしょうか?
「通説をねじ曲げ、他者を差別・排除し、それが正しいと信じる人たちがなぜ生まれるのか?」ということをテーマに、倉橋耕平さんという若手の社会学者と対談した内容を収めています。僕は2012年に「ネットと愛国」でヘイトスピーチの問題について書きましたが、日本社会の状況は当時からかなり変わっている。なにがどう変わってきたのか、変わりつつある社会の中でどういう立ち位置を示すべきなのか。学者とジャーナリストの立場から見いだそうという試みでした。
―変わってきたこととは?
例えば、在日コリアンへの差別と言うと未だに「在日特権を許さない市民の会」(以下、在特会)とか、街頭デモの風景を思い出すわけです。もちろんそれも許しがたいけど、いま一番こわいのはその人々じゃないと思っています。取材をしながら感じるのは、差別の現場が街頭から飲み屋、喫茶店、職場や銭湯といった場所へ移動しているということ。喫茶店でお茶を飲んでいると、隣の席から「韓国が…」「慰安婦が」などという言葉が聞こえてくる時がある。日常的な会話で不意に飛び込んでくる差別的な文言というのがものすごく怖いんです。
カウンターや法制化の動きもあり、街頭デモは全盛期と比較すればわずかに減ってきました。まだ残っているのも許せないことだけど。しかし、もうそうした暴力的なデモを必要としなくなるくらい、日本社会の側がさらに暴力的になってきているという意識があります。街頭デモに立つ人たちは「レイシスト(差別主義者)」という名札を自らつけているようなものですが、いま、名札をつけていないレイシストが跋扈しているという実感が非常に強いです。
テレビや新聞を見ていても、著名人や芸人、また議員などが差別的な発言を簡単に口にする。この前も、ある芸人がワイドショーで「韓国に頭下げてまで仲良くする必要はない」というようなことを言いました。影響力を持つ人が、嫌韓的、反朝鮮的なことを話すと、視聴者がなんの罪の意識や差別という概念を考えることなく差別者になっていく。その発言が、朝鮮半島にルーツを持つ人をどれだけ排除し傷つけるのかという想像力がまるでない。それを垂れ流すメディアにも責任があります。
―取材を通してそのことを実感した経験はありますか?
以前、福岡で一般人が起こした差別事件がありました。博多・天神の商業施設にある男子トイレから「朝鮮人出ていけ」などと書かれた貼り紙が大量に発見されたのです。通報があり、当時63歳の元・学習塾経営者が逮捕されました。裁判に足を運んで驚いたのはその動機です。
男がある日、飲み屋でお酒を飲んでいると、隣のテーブルから「芸能人の〇〇は在日だ」という話が聞こえてきたらしいんです。その話自体が差別的な物言いだったかどうかは知りませんが、男は「在日ってそんなに影響力があるのか」と思い、帰宅後にパソコンで「在日」と検索したんですね。案の定、デタラメサイトばかり開いて「在日がいかにひどい人々か」というのを“発見”しちゃったわけですね。事実を判別するメディアリテラシーが全くない。しかし、これはインターネット初心者が陥りがちな罠なのです。
結局、男はガセ情報を鵜呑みにして差別扇動に手を下した。裁判で男は「深く反省しています」と言いましたが、その言葉は誰に対してなのかという裁判官の問いに「迷惑をかけた商業施設に」と答えたんです。謝るべきは貼り紙を見たかもしれない、マイノリティをはじめとする人々。私はこの発言を聞いて「社会に対して謝れ」と怒りを感じました。差別に加担し、差別を扇動した罪はまるで考えていない。これが無自覚の差別者の怖さです。
―このような状況を変えるためにはどうしたらいいでしょう?
人々を煽るメディアやネットのデマ情報にしっかり批判を加え、ファクト(事実)がなにかをきちんと検証することが大事です。そしてこんな社会でいいのかと言い続けること。今はまだ差別主義者の発信ばかりが目につきやすいじゃないですか。差別発言がネットやテレビで垂れ流されている。他にも、レイシズムの発露の場として書店が挙げられます。差別やヘイトを煽る本が粗製乱造されている。一方で、反差別を訴える側の本は一冊3000円くらいしてぶ厚く、難解なものが多い。もっと様々なジャンルから、普通の人が読んで差別について考えることのできる本がたくさん出てくれば。
決してみんなが差別者ではないし、差別はいけないと思っている人はいます。そういった意見がもっと気楽に反映できるようなメディアや発言の場を増やすことも僕らの役割かなと思います。差別者が胸張って生きる社会ってよくないよね、面白くないよねってことを気軽に訴えかけることのできる世論を作っていきたい。
僕が注目しているのは若い人たちです。20~30代の中でヘイトスピーチや差別の問題にきちんと向き合おうとする動きは確実にあります。自分のこととして社会問題にコミットする感性や発信力が強いので、そこに期待したい。
取材の延長線上で出会った沖縄
―現在、追っているテーマはありますか?
16年に『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』という本を出して、それ以来、沖縄で生きる人々、沖縄で米軍基地に反対して座り込む人々、あるいは沖縄で真剣に基地問題を考えているメディア関係者などから話を聞き続けています。近く、また沖縄に関する本を出版します。
今まで沖縄の基地問題は、日本に暮らす多くの人々にとって身近な問題ではなかったと思います。なぜそうなのかとつくづく考えてみると、現在起こっていることを「沖縄問題」という言葉で括り、問題を沖縄だけに閉じ込めてしまっているからだと気がつきました。専門家と呼ばれる人々が、自分たちにしか分からない言葉とロジックで沖縄を語っていた。だから僕は最近、「沖縄問題」という言葉を努めて使わないようにしています。沖縄に問題があるわけではなくて、日本社会が沖縄に問題を押し付けている。
安全保障の問題であったり、人権の問題であったり、沖縄で進行していることは普遍的な問題ですよね。日本社会に住んでいるすべての人に関わってくることなのに、沖縄の中にだけ押しつけている。沖縄県の面積は日本全土のわずか0・6%です。そこに米軍専用施設の約7割が集中している。これって差別じゃないですか。そのことをしっかり伝えたい。
―沖縄にも目を向けたきっかけは?
13年1月に東京の日比谷公園で、オスプレイ配備に反対する集会が行われました。沖縄の議員や各団体の代表者が集まってデモ行進をしたんです。ちょうど数寄屋橋交差点に一行が差しかかったとき、歩道の両側から「売国奴」「非国民」と罵声が飛びました。声の主は在特会を中心とする差別主義者たち。在日コリアンを差別してきた人たちが、次は沖縄を攻撃対象にしていました。このとき初めて「差別される側としての沖縄」をきちんと捉えなくてはならないと意識しました。
自分の中ではテーマを変えたつもりはなくて、これまでの取材の延長線上という感覚です。もともと僕は外国人労働者を取材する中で「外国人は出ていけ」という文言を目にしたことから在特会のことを知り、レイシズムやヘイトスピーチの取材につながっていきました。
3月には「団地と移民」という本を出すのですが、これも在特会を取材する過程で見た光景が出発点になっています。13年、埼玉県の芝園団地に差別主義者たちが押しかけて「中国人は出て行け」という街宣を行ったことに反発を覚えたのがきっかけです。どんな取材でも、僕の中で共通しているのは「差別/被差別の問題」だということ。差別が日常的なものになってきている中で、カウンターの手段としての出版を続けていきたいです。
長い執筆活動の中で朝鮮報道に関しては取り上げる機会がなかった。しかし、日々メディアから垂れ流される「北朝鮮報道」には辟易としているという安田さん。「訴訟リスクがなにもないから、ファクトを集めることを放棄して書きたいだけ書いている」。
また、韓国のレーダー照射問題を取り上げた「週刊プレイボーイ」の記事について、「今まで集英社には隣国への嫌悪をかき立てるような企画はやらないという暗黙の了解があって、新書でもヘイト本を一冊も出していないんです。その集英社が自社の看板雑誌でもって『韓国よ、日本に甘えるな!』というヘイト記事を書いた。ものすごくショックでした」と話す。
メディアが朝鮮半島に対して高圧的に出ていることに、大きな危機感を持っている。「ニュースや新聞を見る一般人の目は、身近な在日コリアンたちに向けられる。メディアの影響を一番に受けるのは、朝鮮半島の人々ではなくて在日コリアンです。その構図を想像することができないのか。非常に怒りを覚えます」。
「在日コリアンは二つに分かれると思う。一つは朝鮮半島や差別の問題を語ることのできる人、もう一つはそれらの話題に全く触れてほしくないという人」。安田さんが子どもの頃から付き合いのある在日コリアンはほとんど後者に属するとのべる。ルーツを語ることで不利益を被ったため、差別を受けないように「努力してきた」友人たちだ。
「朝鮮半島にルーツを持つ人が、当たり前にそれを話すことができる社会にしなければいけない」。自身の役割を、常に考えている。