「騒動」の日常化
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朝鮮半島情勢が緊張するたびに、政府や報道が作り出す「騒動」の影響が在日朝鮮人社会に及ぶことは、もはや日常化してしまった感がある。
1989年の「パチンコ疑惑」、94年の「核開発疑惑」、98年の「ミサイル説キャンペーン」、2000年代に入っては、02年の「日本人拉致事件発覚」、06年の7月のミサイル発射練習、同年10月の核実験、そして、今回の「ミサイル騒動」…。朝鮮報道は日々エスカレートし、日本国内では、国家と一般市民を同一視し、朝鮮を支持する者、いや関係する者にも制裁をかして当然、という空気ができあがってしまった。世界唯一の冷戦地帯・朝鮮半島の現情勢に日本は歴史的に大きく関わっている。日々の報道はあまりに未熟だ。
人工衛星が発射された翌日、各地の朝鮮学校は始業式だったが、教師らは遠方から電車通学する子どもたちの集団登下校に付き添い、保護者向けの対応に追われた。
15年前のことが思い出された。
1994年6月24日の朝、東急東横線綱島駅で神奈川朝鮮中高級学校に通う中2のAさんが、20歳くらいの男性に腹部と腰を殴られ、入院したのだった。
●1994年4月14日。登校時の午前7時15分ごろ、京王線明大前駅に近づいたところ、車内で暴漢にハサミでチマを切られる暴行を受けたばかりか、「朝鮮人め、この野郎!」と暴言をはかれ、頭をこづかれて、駅に到着と同時に車中からホームへ突き飛ばされた。(東京朝鮮中高級学校に通う高2女生徒)
●同年4月30日。下校時の午後2時頃、JR尼崎駅ホームで中年男性に「電車乗るな」「ドアにはさまって死んでしまえ」などの暴言を浴びせられ、襟首を引っ張られた。(尼崎朝鮮初級学校に通う中2女生徒)
暴言、暴行事件は1994年4月から7月にかけて155件にのぼった。(「切られたチマ・チョゴリ」朝鮮人学生に対する人権侵害調査委員会編集、1994年9月)。被害が集中したのはチョゴリを着た16~18歳の女子生徒。中には7歳の少女が暴行を受けた事例もあり、抵抗するすべのない弱者に矛先が向かった。
朝鮮学校で第2制服が導入され、民族が「可視化」されるチマチョゴリ制服を着る生徒は減った。街中からチョゴリ姿が消えても、この社会の偏見はどれくらい減っただろうか。その実感は乏しい。(瑛)
「騒動」の日常化
右の人々が日常的に起こす「騒動」は
このところ朝鮮・在日相手だけではありませんわな。
直近ではこんなことも起こっており
大変興味深いところです。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090421/p1
貴誌で扱う内容ではないかもしれませんが
非常に示唆に富んだテーマですので
本文・コメ欄ともご一読をお勧めします。