「アマデウス」
広告
ある日曜の午後、「アマデウス」という映画を再びみた。
この映画に初めて出会ったのは大学時代だった。
「アマデウス」は、クラシック音楽の有名な作曲家の一人、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯を描いた映画で、
アカデミー賞8部門を受賞した1984年に制作された名作である。
映画はモーツアルトという天才と、サリエリという天才を見抜く力はあった凡人がでてくるのだが、
そのサリエリの妨害を受けて滅んでいくモーツアルトという流れで描かれていく。
その当時は才能を認められず、天才ゆえ(?)の自身の性格も災いして若くして世を去ったモーツァルト。
反対に、天才ではなかったけれど、誰よりもモーツァルトの才能を見抜いていたサリエリ。
あの映画をみていると、サリエリをみて「なんて小さい男!」なんて簡単には割り切れないものが自分にはあった。
努力して作りあげたものでも、天才にいとも簡単に追い抜かれてしまう。
そのサリエリの苦悩は、自分の存在が揺らぐほどの相当なものであったんだろうと想像できるから。
それでも、やはり彼はもっといい形でモーツァルトを支えてあげられればよかったのではないだろうか?
上をみればきりがない。
自分のできる最大限の努力を日々するべきではなかったのだろうか?
努力ができるのも才能の一つなのだから。
そんなことを思った、日曜の午後でした。(愛)