朝米対決(祖国訪問記5)
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平壌に来る前、朝鮮半島情勢は日ごと緊張の度合いを強めていた。朝鮮の正当な人工衛星打ち上げを契機に、親分・米国と子分の日本、南朝鮮が中心となり国連安保理を利用して、共和国に対する不当に攻撃を仕掛けてきた。当然、共和国は強く反発。防衛のための2回目の核実験を実施した。
今回の訪問にあたり、その緊張状態が朝鮮では実際にどうなのかを自分の目で見て肌で感じたいと思っていた。平壌に来てすぐ、朝鮮戦争が始まった6月25日を迎えた。その日は朝から祖国解放戦争勝利記念館に行く。記念日だということで、国内からたくさんの見学者が訪れていた。また、夕方には「6.25米帝反対闘争の日記念平壌市民群集大会」が開かれた。金日成広場を10万余人の人たちが埋め尽くした光景は大迫力であった。
労働新聞などでも米国や李明博政権を強い調子で批判する論評が目立つ。現在、朝鮮新報社・平壌支局に常駐している金志永支局長の話では、これまでは「全面対決には全面対決で対応する」という表現であったが、群集大会での報告では「戦争には戦争で対応する」という一段強いトーンになっており、1968年1月のプエブロ号事件の時と状況が似ているということである。
とは言うものの、平壌市内はいたって平穏で、緊張した様子は感じられない。朝鮮戦争が終わってから半世紀以上、朝米対決の構図は本質的に変わっておらず、朝鮮はこれまでずっと軍事的な緊張を強いられてきた。日本で生活してきたわれわれが思っている以上に、朝鮮の人々は肝が据わっているのであろう。(k)