祖国滞在最後の夜(祖国訪問記28)
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いよいよ祖国を離れる時が来た。40日間の滞在であった。日本に帰ると書くと、「帰る」という表現にひじょうに違和感を覚える。ましてや「日本に帰国する」のではない。日本に生活の根拠があるから日本に戻るわけだが、「日本に戻る」という言い方にも少しひっかかりがある。しかし、在日同胞の全員が筆者と同じ感覚ではない。「日本に帰国する」という表現がしっくりとくる人も少なくないだろう。あれこれ考えていると、在日同胞のおかれた複雑な状況に思いをめぐらせてしまう。
滞在期間中、広島、神戸、京都、大阪、東京の朝鮮高級学校の生徒たちが修学旅行に訪れていた。女生徒たちはチマ・チョゴリの制服を着ている。まったく恐怖を感じることなくチマ・チョゴリ姿で歩いていることだろう。民族衣装を着ただけで攻撃を受ける日本社会の異常さが、祖国にいるとよくわかる。朝鮮に来もせず何もわかっていないのに、あれこれと解説する日本の「朝鮮問題専門家」は、今もテレビでウソをしゃべり続けているのだろうか。最初からマイナスイメージを植えつけようという姿勢の日本のマスコミ報道が、どれだけ罪深いことか。
朝高生たちは祖国滞在最後の夜に、ホテルの食堂でちょっとした宴会を開く。食堂の従業員と朝高生がお互いに準備した歌などを披露する。広島朝高の宴会に参加させてもらった。最後に、朝高生が祖国での感想を発表するのだが、祖国での思い出が、お世話になった人々の顔が思い出されるのか、途中から全員が涙を流して声にならない。その姿を見て祖国の人々も目を赤くする。朝高生たちにも、けっして「日本に帰る」と思ってほしくない。
1998年に駐在記者として祖国で取材活動を行った。滞在期間に、光明星1号が発射された。そのときの祖国の人々の誇りに満ちた顔を今も思い出す。光明星1号の発射を契機に、祖国はもっとも困難な状況から脱し、上昇気流に乗ったと言える。今回、祖国訪問の前に光明星2号が発射された。現在祖国では、強盛大国の大門を開く2012年に向けた「革命的大高揚」の真っ只中にある。その現実を、平壌だけでなく、多くの地方都市で目にすることができたのは、ひじょうに幸運だった。
次回、光明星3号が打ち上げられたとき、また祖国で取材活動を行いたいと思う。(k)