二人の叔父の記憶
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訪朝を満喫して日本に帰ってきた同僚のブログを見ていると、朝鮮を訪問した月日がよみがえってくる。一方、その記憶が年月とともに色あせていってるなぁと悲しくもなる。
朝鮮には叔父が二人いた。今は一人。母方の叔父は病気で亡くなったからだ。二人とも1970年代に朝鮮に帰国。父方の叔父は私が生まれた1972年に帰国した。叔父に抱かれた写真を幼い頃からよく見ていたせいか、顔はよく覚えていた。その叔父と再会したのは高校3年の時だったのだが、初対面だったにもなぜか涙が止まらなかった。帰りも地方都市から平壌まで見送りにきてくれた。「何度も停電して大変だったんだよ」と笑顔で渡されたケーキは叔母の手作りだった。
別れ際、今生の別れとは思わなかったけれど、次はいつ会えるんだろう、と考えながら手を振り続けていたことを覚えている。バスの中でケーキを食べながら祖国は日本に比べて経済的には裕福でないけれど、人間は廃れておらず、「豊かさ」って何だろうみたいなことを考えていた。
最後の訪朝から7年が過ぎた。この間、叔父が朝鮮で授かった二人のいとこも結婚し、叔父はハラボジとなったという。
朝鮮には、먼 친척보다 이웃사촌이 낫다(遠くの親戚より近くの他人)ということわざがあるけれど、親戚も会わなければ疎遠になってくる。 地図の上では一番の隣国である日本と朝鮮との間に直行便が飛んで、今みたいに中国を経由せず、2時間ほどで行き来できるようになれば、夏休みに北海道や沖縄に旅行する感覚で気軽に旅することもできたはずだ。
人為的に設けられた国境や制裁がなければ、今とはまったく違った人生や家族の物語があっただろう。政治的な壁は本当にアホらしい。(瑛)