紀州鉱山に強制連行された朝鮮人
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土日にかけて、三重県熊野市紀和町というところに行ってきました。
名古屋から車で4時間半(帰りは渋滞に巻き込まれ6時間!)という長丁場を越えて、
たどり着きました。
ここにはかつて、日本で有数の金・銀・銅の産地である、
紀州鉱山があって、1300人以上もの朝鮮人が強制連行されてきたという事実があります。
しかし、多くの地域でも同じですが、ここでもそんな強制連行の事実は隠ぺいされてきました。
現地に実際に行ってみると、よりそのことを感じました。
紀州鉱山の選鉱場のそばにある資料館に足を運ぶと、
同じ外国人労働者であるにも関わらず、
マレー半島から連れてこられた英国人捕虜のことしか史実として残っていないんです。
朝鮮人のことに対しては一言も言及がないのに、英国人墓地は地元の町民たちの手によって作られたとのこと。
また、1930年台から鉱山を経営してきた石原産業に対する強制連行の責任追及の雰囲気はなく、
むしろ町おこしの英雄として讃えられていました。
こんな現実に声をあげたのが、「紀州鉱山の真実を明らかにする会」です。
地道に集めたカンパ(広く知ってもらうことを目的としたので、大口のカンパは断ったそうです)をもとに、
日曜、ようやく朝鮮人犠牲者たちの追悼碑が完成しました(写真は碑の除幕式のもの)。
場所は資料館の斜め手前、選鉱場も見える場所。
これから多くの人たちに知ってもらえることになると思います。
追悼碑の前には、亡くなったことが判明した35人の名前が書かれた石が並べられました。
でも故郷がわからない人がほとんどで、苗字がわからない、
さらには名前の一文字しかわからない人もいました。
植民地下の創氏改名によって、朝鮮人であった事実さえかき消されたことを浮き彫りにするかのようでした。
故郷を離れ、無念に亡くなっていった方たちの生きざまを記憶することが、
少なくとも私たちにできることと思います。
でもその日の朝日新聞の朝刊におどり出た、
「中国や朝鮮半島の植民地化、歴史の必然」という枝野行政刷新相の発言。
また、現実とのギャップに引き戻されたような気になりました。(里)