お願いする
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月刊イオの編集部員は、記者のように取材をして原稿を書くことも多いし、本来の編集者としての仕事ももちろん多い。
編集者の仕事の多くは、いろんな人にいろんなことをお願いすることである。
お願いするもののひとつは原稿で、企画した内容に合わせて外部の方に原稿を依頼する。月刊イオの場合、依頼する人もさまざまで、法律や権利問題、経済などの専門家や大学の先生、作家から一般の同胞まで幅広い。最近ではブロガーにも原稿をお願いしている。そして同胞にも日本人にも依頼する。依頼する原稿は、文章もあるしイラストや写真などもある。
お願いするものの二つ目は、いろんな人にいろんな形で誌面に登場してもらうことである。イオの最後のページの「ウリ家族」という連載も、同胞家族にお願いして登場してもらう。料理の特集をすれば、料理を作ってもらう人に登場してもらう。取材をするにはすべて取材対象がいるわけで、「取材させてください」とお願いしなければいけない。
仕事だからやっているが、本来わたしは、このお願いするというのが本当に苦手だ。気が弱いし人見知りをするし、こんなことをお願いしたら迷惑をかけるのではないか、と思ってしまう。
何かお願いしてやってもらうということは、自分がやるわけではないので、自分の思い通りに行かなくて当たり前だ。それがまたストレスとなる。「この原稿はあの人に書いてもらいたい」といくら編集者が思っても、最終的にOKを出すのは依頼された側である。原稿を書いてもらうことになっても、締め切りがきちんと守られることはまれだし、内容も編集部の思い描いていた通りのものになるかはわからない。
また、誰かあらたに人と出会ったら、「この人にはどんな原稿が頼めるだろうか」と考えてしまったり、実際に周囲の人間に「原稿、書いて」と言いまくっている。そういう自分にも嫌になるのだ。
そういう経験を何年もしているので、たまにどこかの編集部から原稿を依頼されたら、わたしは絶対に締め切りを守るし、取材を受けたら向こうが何を聞きたがっているのかを敏感に察知してサービス精神旺盛で話してあげている。
他人に何かを頼むということは大変なことだと、編集の仕事をしてきて痛感されられた。自分ひとりでは何もできないということも。
自分には合わないなあと思い続けながらこれまでやってきたが、でも続けることができたのは、苦しいこと以上にやりがいや喜びがあったからだろう。そういう意味で、まあ雑誌編集という仕事を選んで良かったと思う。(k)