長崎出張―その4―
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今回の長崎出張で、もっとも大きな収穫と言うと、「岡まさはる記念 長崎平和資料館」(以下、資料館)を訪ねることができたことだ。故・岡正治さんの遺志を受け継ぎ、1995年に建てられたものだ。
資料館のホームページはこちら。http://www.d3.dion.ne.jp/~okakinen/
資料館のパンフレットにある「設立の趣旨」にはこう書かれている。
「日本の侵略と戦争の犠牲となった外国の人々は、戦後50年たっても何ら償われることなく見捨てられてきました。加害の歴史は隠されてきたからです。加害者が被害者にお詫びも償いもしないという無責任な態度ほど国際的な信頼を裏切る行為はありません。
この平和資料館は、日本の無責任な現状の告発に生涯を捧げた故岡正治氏の遺志を継ぎ、史実に基づいて日本の加害責任を訴えようと市民の手で設立されました。政治、社会、文化の担い手は、たとえ小さく見えようとも一人ひとりの市民です。当館を訪れる一人ひとりが、加害の真実を知るとともに被害者の痛みに思いを馳せ、一日も早い戦後補償の実現と非戦の誓いのために献身されることを願ってやみません」
資料館は、JR長崎駅から徒歩5分くらいのところにあり(近くに長崎朝鮮会館もあります)、1階と2階に写真や資料が展示されている。展示内容は、「韓国・朝鮮人、中国人被爆者」「強制連行・強制労働」「日本によるアジア侵略」「日本軍『慰安婦』問題」「なぜ日本は無責任であり続けるのか」などのコーナーにわかれている。
資料館の理事長の高實康稔さん、スタッフの柴田利明さんに館内を案内してもらい、いろいろと話を聞くことができた。
年間5000人くらいの入館者があるそうで、そのうち7割くらいが修学旅行生だそうだ。長崎を修学旅行で訪れる学校は多いが、(実は私も35年前に修学旅行でやってきた)そのうちの1%くらいが資料館を訪れるということである。
「修学旅行生の多くは駆け足で館内を通り過ぎるだけだが、それでも何人かはじっくりと見入る生徒がいる。そして確実に何かを感じ取って帰る。子どもたちにはもっと来てほしい。でも、10%も来られると対応できないけれど」と高實さんは笑いながら語っていた。
朝鮮人の原爆被害者に話を聞くと、日本人の場合、被爆したときの話だけですむのだけれど、朝鮮人は1945年8月9日から始めるわけにはいかないという。なぜ日本に来るようになったのか、日本でどのような生活を送ったのか、原爆被害を受けた後どうなったのか…。「原爆被害者のことを追及すると、日本の国家犯罪のことに目を向けざるをえない。これは必然です」と高實さんは語る。
資料館には多くの資料も販売している。資料館を運営する中心となっている長崎在日朝鮮人の人権を守る会が作成したものが多い。特に、長崎在日朝鮮人の人権を守る会では、「原爆と朝鮮人」という「長崎朝鮮人被爆者実態調査報告書」のシリーズを第1集から第6集まで発行してきた。その第4集は「端島の呻き声」という副題がついていて、軍艦島での朝鮮人強制労働の実態を「火葬認許証下附申請書」(通称・端島資料)に基づいて綿密に分析、報告している。
帰るときに、それらの資料をいっぱいいただいた。私が月刊イオの7月号で書いた原稿は、いただいた資料をほとんど引用したものである。月刊イオを読む代わりに、「原爆と朝鮮人」をそのまま読んでもらいたいほどである。
高實さんらは、過去の問題に目を向けるだけでなく、朝鮮学校支援をはじめ在日同胞の権利擁護活動にも積極的に携わっている。昨年11月には長崎市で9年ぶりとなる金剛山歌劇団の公演を成功させ、今年3月から5月までの2ヵ月間、長崎朝鮮会館で古本市を開催した(写真)。古本市は、日本人有志らが本をもちよって販売し、その収益金を福岡の朝鮮学校に寄付したのである。集めた本の数は1万冊にものぼる。秋にもまた開催するとのことだ。
最近の出張は、東京と大阪の間にある地方に限られていたが、久しぶりに遠くに出張に出れて非常に満足だった。念願だった軍艦島に行けたのも良かったけれど、それ以上に長崎でいろんな人々の温かさに触れることができた。長崎には1世同胞の過去の苦難の足跡がたくさん残る場所である。ぜひ長崎を訪れて、そういう場所を巡ってもらいたい。その中でも、この資料館は必ず訪問してほしいと思う。―おわり―(k)