長野朝鮮初中級学校創立40周年記念アルバム
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長野朝鮮初中級学校創立40周年記念アルバムができあがったということで、実家から一つ送ってもらいました。
初めて見た感想は、「分厚い!(内容的にも)」でした。
アルバム製作側から私がソルマジ公演に行った時の写真を提出してほしいということで、初めて40周年記念アルバムを製作するということを知ったのですが、こんな立派な写真集だとは思いませんでした。(製作側からあとは私の写真待ちだけだといわれ、実家の姉に必死で探してもらいました。その節は写真提出が遅れてミアナンミダ。朴先生)
その本には長野初中の40年の歴史がぎゅっと詰まっていました。
創立された当初の聖高原のホテルを借りての学校時代の写真はとても新鮮でした。教員であった母や父から話しは聞いていたものの、大勢の子どもたちが寮生活をおくり洗濯板で洗濯をしたり、人民保健体操をしていたり。こんな時代があったんだ~と感心しながらページをめくりました。
聖の学校から松本市内を一望できる蟻ヶ崎の学校移転当時、私のハラボジも尽力していたということで、建設委員たちがまだ何も建っていない建設予定地で談笑している写真にハラボジを見つけては、先代の方達への感謝が胸から込み上げてきました。
私自身は松本市内を一望できる蟻ヶ崎の学校で、9年間思いっきり遊び、学びました。広々とした運動場で同胞たちが大勢集まる運動会が催されたり、夏になれば学校にあるプールで水泳大会、おいしい食堂まで完備されていて、芸術競演大会が近づくと、寄宿舎に泊まって合宿をするなど、今思えば贅沢すぎる空間で9年間を過ごしました。あの学校が大好きでした。(写真はアルバムから)
更地から、基礎工事、私が学んだ学校へと変貌していく過程の写真を見て、こんなに何もないところから、あんな立派な学校を建てた、当時のハラボジ、ハルモニ、アボジ、オモニたちの子ども達への愛情がどんなに深いものだったかを改めて感じました。
現在学校は松本市島内にあります。その学校もとても綺麗で、昨年そこで40周年記念行事が行われました。
この写真集には40年もの間に長野朝鮮初中級学校に携わってきたたくさんの先生、生徒、長野同胞たちの姿が生き生きとした写真を通して約4~5世代分に渡って紹介されています。長野は「長野同胞の自慢」という歌があるほど、同胞達の想いが熱い地域です。長野同胞の想いの熱さがこのアルバムからも伝わってきました。(愛)
青春
まだ若かったとき、長野ハッキョから冬休みの先生たちとスノボしにった思い出がありますよ。学校は確か長ーい坂道を登った高い場所にあった記憶があります。長野を一望できたんですね。先生たちにたくさんお世話になりました。
Unknown
(白馬の王子)さん、コメントありがとうございます。
>学校は確か長ーい坂道を登った高い場所にあった記憶があります。
その通りです!登校するのに、大変体力がつく場所でした。