朝鮮と日本の100年
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8月号の特集は「朝鮮と日本の100年」を考えるもので、日本と朝鮮の関係を題材にした小説や映画も載せている。私は先輩の勧めで梶山季之の「族譜・李朝残影」と朝鮮短編小説選の2冊を紹介したのだが、久々に小説の力を感じたものだ。この小説と出会い、一方の植民者である日本人の立場から”植民地”を見せつけられ、植民地主義が支配する側をも蝕んでいくことがよくわかった。
…「族譜」の主人公・谷は徴用逃れのために京畿道庁に務めだし、そこで、「創氏改名」の宣伝と実施を言い渡される。しかし、谷はこれを頑なに拒む朝鮮人実力者・薜の前で日本人の植民地責任を問われ心が揺れる。その一方で権力側は、彼を懐柔しようと娘婿に酷い拷問を加え、強権的に彼を追い詰めてゆく…。
小説の結末はあまりにむごい。
私たちは、1世の祖父母たちが土地を追われ、親、きょうだいと離れ、また生き別れになった事実を知っている。国を失った悔しさや家族と離れ離れになった苦しみの一端に触れた者として、この体験を二度と繰り返したくないという気持ちは持っているものの、それを追体験をすることはできない。
物書きの端くれとして、時代の空気を届ける、とは永遠の命題だが、朝鮮で植民地官僚の家庭に生まれ、敗戦後に朝鮮を舞台にした完成度の高い作品を書き続けた梶山の作品は朝鮮人と日本人が両者の関係をどう感じながら、この時代を生きていたのかを伝えてくれた。小林勝、村松武司、森崎和江…。朝鮮体験に向き合うことを戦後と文学の存在根拠に据えた日本人作家は他にも多い。(瑛)