朱鞠内湖―その1―
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今日の内容は、7月15日のブログ「笹の墓標」の続きです。
朱鞠内湖の横にある「笹の墓標展示館」を見学したあと、歩いて朱鞠内湖へ行った。普通は歩いて20分ほどだが、道を間違えて50分ほどかかってしまった。記録的な炎天下のなか死にそうになってしまった。
湖に行く途中、道の傍らに「願いの像」(写真)というブロンズ像が建っている。
強制労働の実態を調査し犠牲者の遺骨を発掘して遺族に返還する活動を進めいてきた空知民衆史講座の人々が中心になって建てたものだ。1991年に建立された。像の碑文の一部を紹介する。
「戦争の嵐の中で、山間の地にいのちを失った多くの「タコ」と呼ばれた労働者の慟哭と、他国へ強制連行された人々のいかりと悲しみにふれた私たちは、この運動をとおして、二度と再びこのような犠牲を強いることがあってはならないことを学びました。/ここに、犠牲となった人々、遺族、そしていのちの尊さにめざめたすべての人々の思いを込めてこの像を建立します。」
「願いの像」は最初、朱鞠内湖の展望台に建てるつもりだったが、現在、朱鞠内湖を管理している北海道の自然保護課が許可せず、像自体が完成した後も何年間か保管されていたそうだ。結局、最後まで許可が下りず、檀家の一人が今の場所を提供し建立に至ったという。
今回、北海道の強制労働の特徴はタコ部屋労働だと、教えられた。北海道は日本の中でも侵略された地であり、タコ部屋労働は北海道開拓の中で編み出された独特の拘禁労働だった。朱鞠内湖のダム工事では、朝鮮人だけでなく多くの日本人も同じように「タコ」と呼ばれ強制労働させられたそうだ。
汗まみれになって到着した朱鞠内湖は、北海道の原生林の中に浮かび上がるようで、非常に美しかった。スイスにある湖を見ているような感じである(行ったことはないが)。
朱鞠内湖の展望台に上がる。上がると奥に、「殉職者慰霊塔」が見える。朱鞠内湖(雨竜ダム)の工事は、王子製紙株式会社(実際に工事を行ったのは子会社の雨竜電力株式会社) が進めたものだった。王子製紙はダムによって得られる電力よりも森林資源が目的だったといわれていて、ダム工事と同時に雨竜線という鉄道を開通させて大量の木材を切り出し運ん だ。
「殉職者慰霊塔」はダム工事終了とともに建てられたというが、ダム工事のために架けたつり橋の支柱をそのまま利用したものだそうで、強制労働させられた朝鮮人や日本人を特に慰霊するものではないとのことだった。実際に塔には碑文も何もない。
現在、湖の周辺はキャンプ場などが整備され観光地として開発されていた。目を引いたのが「日本最寒の地 -41.2」と書かれたモニュメント。
ここで日本で一番寒い-41.2度を記録したということなのだが、実際にここは冬になると-30度くらいは当たり前のようで、雪も3メートル積もることもあるらしい。
「日本最寒の地」を観光客を呼ぶひとつの「売り」にしているわけだが、客集めのために建てられたモニュメントを見ていて、そんなに厳しい環境の中で過酷な労働を強いられた1世たちは、どれだけ辛かったであろうかと、心が痛くなった。―明日につづく(たぶん)―(k)