九州の中の朝鮮をたずねて(福岡)
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みなさん、お盆休みいかがお過ごしですか?
今日のブログはわたくし(里)が行ってきた、
九州の中の朝鮮とゆかりの深い場所を紹介していきたいと思います。
今回は福岡です。(大分、佐賀と書いていくつもりです、多分。)
ここは「学問の神様」で有名な、大宰府天満宮。
「梅ヶ枝餅」とかが名物です。
まぁ今回の本当の目的地はココではなく、
ココでした。↓↓
大宰府駅からタクシーに乗ってたどり着いた、
大野城跡・「百間石垣」(ひゃっけんいしがき)。
大野城とは日本最古の朝鮮式山城で、
その城を取り囲む城壁がこの「百間石垣」。
ただ、高いところにそびえ立っているため、
写真を撮るには遠い・・・。
これではダメだと思い、階段を登って近づくことにしました。
誰もいないので、重いカバンは下に置いたままにしておきました。
途中、下を見下ろすと、足がすくみそうになる・・・
とにかく、こんな谷の合間みたいなところに
石垣は建っていたのです。
(ちなみにここ、携帯の電波はつながりません)
↑望遠レンズを使うとこれくらい迫ることができました。
↑ちょっと引いて撮ったらこんな感じ。
↑ちゃんと説明が書いてある掲示物も。
↑少し違うアングルからもパチリ☆
思ったよりもスケールの大きな建造物でした。
次は、ところ変わって「板付遺跡」(いたづけいせき)へ。
日本の弥生文化発祥、
すなわち稲作農耕文化がはじまったルーツが
ここにあると言われています。
↑団地が立ち並ぶ住宅街の一角に目印がありました。
↑中へ入ってみると広い公園のような・・・
そしてよく見ると、
弥生人が暮らしていた「竪穴住居」が
リアルに再現されていました。
福岡空港が近いので、
ときどき轟音とともに飛行機が飛んでいく光景も、
なんだかミスマッチで不思議でした。
↑当時の水田も再現されていました。
この地に稲作農耕の技術をもたらしたのは、
朝鮮半島からの渡来人だったんです。
あまりにも遙か昔のことなので、想像すらできませんが
地図上で朝鮮半島と日本列島を見れば、
その近さから往来があったことは納得できます。
よく、九州北部の海岸には、韓国からの漂着物がたどり着いていますし。
余談ですが板付の集落一帯では現在も、
「どこを掘っても土器やら何やらが出てくる」そう。
そのため、家を建てたり壊したりする際には、
必ず「発掘作業」をしなければ、先に進めないとか。
タクシーの運転手がこぼしてました☆
最後は、「志登支石墓群」(しとしせきぼぐん)へ。
JR「波多江」駅から田んぼが広がる道へと抜け、
歩き続けると表札があり、曲がってさらに進むと
こんなものが。
確かにここが「志登支石墓群」であることが確認できますが・・・
一体どこからどこまでがそうなんだ??というギモンが。
よく見てみると、
↑奥にはひっそりと碑が建っていました。
「史跡・志登支石墓群」と書いてあります。
そしてその手前には、
↑支石墓がありました。
支石墓とは朝鮮半島南部に多いもので、
副葬品として、朝鮮半島で多く発見された
磨製石鏃などが出土しているそうです。
みなさん、なんとなくお分かりいただけましたか?
ブログではこれくらいしか紹介できませんが、
もっと詳しい事柄については
イオ9月号(8月下旬発売)でご確認ください。
次回は大分県版を書きます。(里)