教育と国家
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朝鮮高校の無償化排除問題の結論が近々発表されると報じられるなか、某新聞が朝鮮高校と朝鮮民主主義人民共和国との関係を問題視するキャンペーンを張っている。中井国家公安委員長が拉致問題を口実にして朝高への無償化適用を反対した経緯、近年ヒートアップする「北朝鮮悪魔化キャンペーン」で、一見この主張は世論受けしそうだが、読者の方々には冷静になって「国家と教育」というテーマを考えてほしい。
2006年にイオ編集部で「日本の中の外国人学校」(明石書店)という本を作ったとき、日本にある外国人学校が本国の認可(本国にある学校と同等と位置づけられているか)を持っているのかどうかを調べたことがある。今回文科省は無償化対象とする外国人学校にいくつかの条件を付しており、「本国認可」もそのひとつだが、それを調べる過程でわかったことは、本国認可を受けた学校は日本に多くある一方、海外にある同胞の学校を評価する制度を持たない国(中国など)や本国認可制度がそぐわない学校(国際学校)があるという事実だった。ご存知の通り、日本も海外に多くの日本人学校を抱えており、「学校」の地位を認めている。
教育は百年大計の事業で、民間や個人の力でこなせる、そんな易しいものではない。一方的に財政をつぎ込む教育という事業は、人材育成を目指すもので、商売のようにすぐに結果が出るものでもなく、だからこそ、大きな力を持つ国家や財団、多くの人々の支援なしには運営できないのだ。また近年人類が到達した「教育の自由」を確保する必要もある。日本で国公立とともに私立学校への助成を充実させているのも、この「自由」を保障するためではないだろうか。
しかし、朝鮮学校は国家の保護はおろか、1948年の春、GHQと日本政府の圧力による「朝鮮人学校閉鎖令」で大弾圧を受け、350弱の学校が非合法の存在になってしまった。そんな中、1957年から朝鮮戦争(1950~53年)の傷跡が残る朝鮮から教育援助費が送られ、学校再建の大きな力になった。この時の援助がなければ今日の朝鮮学校が存在しなかったといっても過言ではない。
こんな話もある。日本の敗戦後、平壌には「平壌日本人学校」があり、学校の財政は北朝鮮人民委員会財政局で負担していた。1948年4月、平壌で開かれた朝鮮統一政府樹立のための南北諸政党・社会団体連席会議に南の代表として訪れていた金九の随行記者、金光斉が後に「北朝鮮紀行」という小冊子で書いている話だ。
「同年の予算は223万7000円。日本人教職員は10人、学生は中学生19人、小学生40人とのことである。生徒の父母はみな日本人技術者で、彼らは朝鮮人技術者の最高額である5000円が支給され、子どもはもとよりみな朝鮮人から差別されることなどないと話したという」(「朝鮮商工新聞」3月16・23日付け)
朝鮮学校が「北朝鮮の思想教育を盲目的に実行している」という類の話が持ち上がるたびに思う。国を追われた異郷人が異国で教育をすることの大変さをどれほどわかっているのか、と。
私はここで海外に暮らす同胞の教育機関が当該国家との距離をどう取るかという課題を一切抱えていない、と言うつもりはない。ただ、はっきり言えることは朝鮮の教育援助費、民族文化保持のための数々の支援がなければ、植民地宗主国・日本に暮らす在日朝鮮人が、歴史を清算しない日本で自らのための教育を半永久的に続けることは難しかった。
日本のマスコミは朝鮮学校と「北との関係」を云々する前に、日本の国家権力が戦後に武力で朝鮮学校を踏みにじった過去を、たった一度でもいいから考え、歴史的にこの事実を振り返ってみることが必要ではないか。そして、「北朝鮮憎し」の報道が増すなかでも、なぜ朝鮮学校へのニーズが戦後65年たった今も存在し続けるのか―。そこに学ぶ学生や保護者の気持ちから考えてほしいと思う。(瑛)