高校無償化適用を前に
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朝鮮学校への高校無償化制度の適用が、
おおむね決まったと思えた矢先、
最後の最後になって、
また不穏な動きが出てきたようです。
高校無償化の問題をめぐっては、
たくさんの日本人たちも「おかしい」と声をあげてくれています。
「日本の民主主義の根底を揺るがしかねない問題」だと、
自分たち自身の問題として取り組んでくれています。
そこで耳にするのは、
「朝鮮学校の生徒たちがふびんでならない」
という意見です。
先週金曜日、日本の市民団体が主となって
文科省と内閣府に対する要請行動と院内集会が行なわれたのですが、
その場でもそういう声があがりました。
しかしとあるオモニがこう言いました。
「私は自分の子どもたちを、ふびんだなと思ったことは一度もありません。
今のような時代の中、自分の祖父母の歴史を学び、
自分たちの将来を真剣に考える子どもたちが、
日本にどれくらいいるんでしょうか」
私はその時、少しはっとしました。
上手く言えないんですが、
朝高にかよう生徒たちが
かなしく語られるのは、
すごく違和感があるんです。
自分たちは朝鮮学校に決して悲観的に通ってる(あるいは送ってる)んじゃなく、
そこにしかない価値を見出しているし、
堂々と自信もってるんだ、って。
もちろん、先の「朝鮮学校の生徒がふびんだ」と言った日本人は、
政治的な問題に翻弄されている生徒たちのことを案じて発言したのですが。
ウリハッキョに対するマイナスイメージがつくのは嫌だ―、
それは、実際にウリハッキョに通っている生徒たち、
そしてその保護者たちも感じていると思います。
本当に言葉足らずでうまく言えないんですが、
相変わらず公然と差別を容認する政府の態度とともに、
私たちは自分たちが守ってきてこれからも守っていきたい大事なものが、
なんだか否定されてるかのような不安も覚えるんだと思います。
「私たちの存在を否定しないで」と訴えた朝高生がいました。
高校無償化適用は、
民族教育を守るための一つの通過点にすぎないと思います。
高校無償化適用を前に、
いま一度、
この問題が持つ大きな意味を考えています。(里)