「砲撃事件」と呼ぶのはやめよう
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昨日、関東地方のある朝鮮学校を取材で訪れた。
校門をくぐったのが午後3時。ちょうど初級部低学年生徒たちの下校時間と重なった。校庭には、わいわいがやがやにぎやかな子どもたちの姿と下校指導をする先生たち、そして地域の青年同盟の若者も何人かいた。
23日に朝鮮西海で起きた北と南の軍事衝突を受けて、学校や地域でも集団下校など生徒たちの安全確保にさらに気を使っているとのこと。
なぜ毎回このようなことになってしまうのか。子どもたちの無邪気な笑顔を見ながら、悲しい気持ちを抑えることができなかった。
問題の「砲撃事件」だが、日本や韓国メディアが使っているこの表現は正しくない。「北朝鮮がいきなり無差別砲撃を仕掛けてきた」かのように報じられているが、当該の海域では韓国が大規模な軍事演習を行っていた事実を忘れてはいけない。朝鮮側は、今回の砲撃は相手側の挑発に対する軍事的対応措置であったと主張している。少なくない海外メディアも、まず韓国側による軍事的挑発があったということを指摘している。でも、海外メディアのこのような論調は、マスメディアではほとんど紹介されていない。
問題の本質を見抜くためのポイントはいくつもある。なぜ、「事件」が起きたのか。問題の海域はどのような場所なのか。「NLL」(北方限界線)とは何か、など。これについては、いずれブログで本格的に書いてみたいと思う。
「北朝鮮バッシング」一色の日本メディアを見ているだけでは事態の真相はまず見えてこない。朝鮮側の主張はもちろんだが、少なくとも、韓国のメディア(とくに大手以外のものを)もチェックしないと。
衝突によって民間人に死傷者が出たことは悲しむべき事態だが、「北朝鮮憎し」の感情を拡散させているだけでは何も解決されない。
それにしても、日本では政府から始まって与党、野党、はてはメディアまでがこぞって朝鮮を一方的に非難するばかりで、問題を深く掘り下げる努力を放棄している。右も左もない「オールジャパン」現象に恐ろしさを感じる。
そして、高校無償化問題。教育の問題、人権の問題を政治のカードにするという日本政府の愚劣な精神は結局のところ何も変わっていなかったということがあらためて満天の下に明らかになった。(相)
大切なもの
そもそも朝鮮半島の南北分断は日本の植民地支配が元凶にあり、その後も『韓国』のみと国交を結び、『朝鮮民主主義人民共和国』に対しては徹底的な敵視政策をとってきたということにあると思います。
そして、日本 日本人自身が植民地支配の謝罪・賠償など総括を意図的に拒否してきたそれがマスコミが韓国軍による挑発的軍事演習が行われていたことを全く伝えておらず、『北朝鮮による砲撃』と一斉に報道されることがまかり通っているのだと思います。
『朝鮮』ではなく『北朝鮮』と呼んでいることはもちろん、朝鮮学校がイコール北朝鮮などのように、朝鮮・韓国が国として分断されて創建される以前に国語講習所として作られた朝鮮学校の歴史は全く触れられていません。
わたしは日本人の1人として、普通に日本学校に通った者ですが、今それを振り返ったとき、果たして自分は何を学んできたのかを明確に答えを見つけることが出来ません。
しかし、朝鮮学校で学ぶ学生さんは在学中だけではなく、卒業後も誇りを持って日本の多くの分野で活躍をしている、受験とか就職とか経済的・社会的立場のために勉強してきた日本人の多くとは違い、同じ仕事をしていてもその努力の仕方は格段に違います。
これは日本人が日本学校からは到底学ぶことが出来ない誇りがあるからだと思います。
そんな朝鮮学校はこの日本においても日本人にとっても本当に大切なものです。
国家間の事態を朝鮮学校にまで言いがかりをつけることは日本人であるわたしにとっても絶対に許せません。
朝鮮人が朝鮮人として生きていくために学ぶ学校に何ら障害もまして、教科までに介入があってはならないからです。
わたしはこれからも出来ることを精一杯行っていこうと思います。
闘いはこれからですね!
Unknown
私は日本人ですが、「オールジャパン現象」には最後まで抵抗するつもりです。