自由について
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私のブログ執筆担当曜日は金曜。朝イチでアップしなければいけないので、前日中に書き終えるのが理想なのだが、いいネタが頭に浮かんでこない。もがいているうちに5時が過ぎる。
(今晩は人と会う約束があるんだった。しかも明日は朝から取材だ。仕方がない、家に帰って書いて、メールで送ろう!)
しかし、数日前から自宅のパソコンの調子が悪く、インターネットを使えないことに気づく。ああ、最悪だ、どうしよう。
というわけで、日付が変わり、12月17日金曜日。最寄りの駅のネカフェに入店! そこでこの文章を書いている。
眠い。思考能力が低下してきた。
「何を書いてもいい。自由だ」。しかし、これが難しい。学生時代の作文でもこれで苦しんだ経験がある。まさに、「自由の刑」。
人間はあらかじめ本質を持って生まれてくるのではない。まず、この世界に投げ出され(実存)、それから自らを作り上げる。人間は自由だ。しかし、自由であるがゆえに、その行動に対して一切の責任を取り、その結果を引き受けなければならない。人は生の場面場面で常に決断を迫られる。未来は不確かだ。ゆえに、決断の時点で正解などない。では、何を基準に自らの行動を決めればいいのか。
フランスの哲学者サルトルは、人間が人間であるがゆえに陥らざるをえないこのような状態を、「人間は自由の刑に処せられている」という言葉で表現した。
「君は自由だ。選びたまえ!」
納得。
ブログに書くネタが思い浮かばない、という話からだいぶ脱線したが、何とか形にはなった、かな。
The worst is not. So long as we can say, “This is the worst”.
「最悪だ」と口に出せるうちはまだ最悪ではない――シェイクスピア(『リア王』)
そう。「絶望的な状況だと認めること」と「絶望すること」とは違う。
《하늘이 무너져도 솟아날 구멍은 있다》(空が崩れ落ちても、這い上がる穴はある)
明日からもがんばろう。(相)
Unknown
密かに金曜日の更新を楽しみにしています。
私たち在日朝鮮人が未来を「自由」に「選ぶ」ことのできる日まで、まさに하늘이 무너져도 솟아난 구멍이 있다の精神で、絶望的な現状を突破したいです。
Unknown
コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、楽観的、ポジティブ思考でがんばっていきましょう。これからも更新を楽しみにしてくれるようなブログを書いていきたいと思います。