3人の李さん
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今日は3人の李さんについて書きます。
ひとり目は1月31日に初防衛戦を行った李冽理選手。
朝鮮大学校の卒業生として初めて世界チャンピオンになった李冽理選手を応援しようと、この日も会場には多くの同胞たちが応援に駆けつけました。試合の結果は残念ながら判定負けで、王座を防衛できませんでした。
試合後の控え室で記者たちに囲まれた李冽理選手は、相手の下田選手が自分の力を出させないうまいボクシングをしてきたと下田選手を讃えながら、不完全燃焼だったと悔しさをにじませていました。
日本人記者らが去った後、多くの同胞たちの応援はよく聞こえていたと言いながら、「負けてしまいもうしわけありません」と謝っていました。 勝負は勝つときもあれば負けるときもあるもの。李冽理選手のその言葉を聞いて、そんなことは気にしなくていいのにと思いました。しかし、必ずまたチャンピオンに返り咲くと、決意していたので、期待しこれからも応援したいと思います。
李冽理選手の試合の模様は、月刊イオ3月号でお伝えします。
2人目はアジアカップの決勝戦で決勝ゴールを決めた李忠成選手。
あのゴールは本当にサッカー漫画に出てくるような素晴らしいゴールで、何度見ても美しいものでした。決勝のあの場面で、あのゴールを決められる李忠成選手はやはりただものではない。鄭大世選手がワールドカップの国旗掲揚のときに涙を流した時にも感じましたが、スターになる何かを持っている選手だと思いました。
月刊イオ3月号に、李忠成選手のゴールについて韓国の月刊誌「民族21」の記者が原稿を書いていますが、韓国のネチズンたちの反応も、李忠成選手を同じ同胞として讃える温かいものが多かったそうです。
日本でもネット上で李忠成選手についていろいろと書かれていました。気になったのは、李忠成選手のような人が活躍することにより日本社会が変わるといった内容のもの。誤解を恐れずに書くならば、ちょっと無邪気すぎると思いました。
「在日同胞は不可視の存在」だと言われてきました。スポーツ界や芸能界で活躍した同胞はこれまでたくさんいます。有名人も無名の人も「日本名」を名乗っている人が多いのですが、なぜ本名を名乗れないのかを知る必要があります。また、朝鮮学校卒業生をはじめ本名で生活する人も少なからずいます。
李忠成選手は大きなことをしましたが、李忠成選手だけでなく、日本社会でこれまで何十万人という朝鮮人が日本社会の構成員として日本社会で働き、富を生産し、税金を納め、貢献してきました。そして一方で抑圧され差別されてきました。また、在日朝鮮人だけでなく、日本にはいろんな国のいろんな立場の外国人がいます。それらの人たちのことをどれだけ日本社会は見てきたのかと思います。
3人目は、仮放免者の李さん。下の名前は書けません。
仮放免者とは、「不法滞在」として入国管理局に長期にわたり収容された後、仮に放免された外国人たちで、韓国からやってきた人も多くいます。李さんもその一人。李さんとは最近知り合い、話を聞くことができました。
李さんは2008年6月に茨城県牛久にある東日本入国管理センターに2年6ヵ月間も収容されていました。仮放免されたのは今年1月11日。入管での生活は、すべてが苦しかったと言います。精神的におかしくなり、今も脳の動きと目が一致しない感じで、いつも頭がボーっとしているそうです。
李さんは現在、他の国々の仮放免者と一緒に、日本の入管行政の非人道的なあり方を告発し変えるために活動しています。
「戦わないと日本は変わらない」と言っていました。(k)