被災地での食事
広告
イオ5月号の作業も終わり、編集部では6月号の制作に取り掛かっています。
先月、東日本大震災関連の取材で宮城、福島、茨城の各被災地を回りました。未曾有の大災害の記録を残すという意味で、被災地の様子以外にもさまざまな写真を撮りました。毎日の自分の食事のメニューも可能な限り写真に収めたので、それを紹介したいと思います。
まずは、3月17日夜、宮城県仙台市の東北朝鮮初中級学校に到着した後に食べたのが、このクッパです。宮城県対策委員会で準備してくれたものです。寒さで冷えた体を暖めてくれるクッパは本当においしかった。
そして、翌朝食卓に出てきたのがこれ。 見てのとおり、おかゆです。学校で生活する人々の食事は1日2食だとは聞いていましたが、これを食べた後、夕方まで何も食べずに体がもつか、心配になりました。食べて2時間後には空腹感が襲ってきたのを覚えています。もちろん、不満とかそういうのではなく、被災地における非常事態を日々の食生活で身をもって体験することができました。 救援物資を運ぶなど、外で活動する組には昼食用におにぎりを持たせてくれます。これを移動の車中などで食べるわけです。具が入っていないシンプルなおにぎりですが、対策委員会の女性スタッフが作ってくれたおにぎりは、この間、お店に入って食べたどんな料理より心にしみました。
ほかにも、中華丼などさまざまなメニューが食卓に上りました。
そして、私が仙台を発つ前日の夕食のメニューがこれです。 ピビンバに具だくさんのスープ、キムチにおしるこまで豪華なものでした。これは、山形の女性同盟の方々が炊き出ししてくれたものです。この時の食卓が一番みなの笑顔が多かったように思います。
宮城以外にも、福島や茨城でたくさんの同胞にお世話になりました。被災地なので、決して豪華な食卓ではありません。でも、日本各地から送られてきた物資や、手に入る材料を駆使して作られた料理を通じて人々の温かさに触れることができました。本当にありがとうございました。
明日から福島県に入ります。福島取材は先月末に引き続いて2回目です。震災から1ヵ月が経った被災地の同胞の姿、新年度が始まったウリハッキョの様子などを取材する予定です。
被災地で記者は何ができるのか。この間、震災の現場に身を置きながら考え続けてきました。限られた時間、限られた条件の中での取材。現場で見たことがすべてではない、現場に身を置いたからといって物事の本質を正しく認識できるわけではない。でも、現場にいて初めて見えてくるものもある、そこにいる人間にしか伝えられないことがある。現地同胞たちの声を丹念に拾って、彼らの悲しみや苦しみ、悩み、そして希望を読者にあるがままに伝えることが、自分のすべきこと。そう思います。とくに福島は原発の問題で他県よりも複雑な事情を抱えているので、なおさら現状を広く伝えるべきだと切実に感じます。(相)
詩 一杯のクッパッ
一杯のクッパッ
愛しい 卒業生達よ
とびきりの御馳走ではないけれど
一杯のクッパッに込められた想いを
忘れることなく 胸に刻んでおくれ
日本中の 同胞達が
心を込めて送ってくれた救援物資
その 貴重な 米と 野菜と 肉で
オモニ達は クッパッを作られた
全てが足りなくガスまで切れてたけど
まだ肌寒い校舎の外で
薪をくべながらご飯をたき
先生達は クッパッを作られた
大地震が起きた瞬間
自分の事より 初級部妹達の 身を案じ
揺れ動く校舎の中に 果敢にも飛び込み
毅然と後輩達を助け出した 卒業生達
校舎は傾き 窓ガラスはこなごな
寒さに震える 後輩達のため
ためらいも無く カーディガンを脱ぎ
ギュッと抱きしめてあげた 卒業生達
10年もの長いあいだ
兄弟のように過ごした 幸せな日々
君達の心に紛れも無く育ったものは
自分の事より先に 他の人を想う心
花より美しい心を育んでくれた
ウリハッキョに感謝を捧げ
君達が巣立っていく日に
とびきりの御馳走は出来なかったけれど
愛しい卒業生達よ 忘れないでおくれ
どんなときも1人では無い事を
母なる祖国が 見守ってくれている事を
手を差し伸べてくれた同胞達がいることを
行く手にいくら困難が待ち受けようとも
一杯のクッパッの 温かさを忘れず
願わくば 今度は 君達が
あったかぁいクッパッになってくれる事を
* クッパッ(お汁をかけたご飯)
―東北朝鮮初中級学校 卒業生達に―
詩 ハングル版
한그릇의 국밥
사랑하는 졸업생들이여
진수성찬은 차려주지 못했어도
한그릇의 국밥에 담긴 그 뜻을
영원히 잊지말고 간직하여라
일본땅 동포사는 곳곳에서
정성담아 보내준 구원물자
그 귀한 쌀과 나물과 고기로
어머니들은 국밥을 만드셨다
모든게 부족하고 가스마저 끊겼어도
아직은 바람 세찬 교사밖에서
장작을 피워가며 밥을 지으며
선생님들은 국밥을 만드셨다
대지진이 일어난 순간
제몸보다 초급부동생들 걱정이 앞서
흔들리는 교사속에 용케도 뛰여들어
끝내 동생들을 구원해낸 졸업생들
교사는 기울어지고 유리는 깨져
추위때문에 벌벌 떠는 동생들 위해
서슴없이 웃옷을 벗어 입혀주며
한가슴에 꼭 안아준 졸업생들
10년가까운 기나긴 세월
친형제처럼 지내온 행복의 나날
너희들의 마음에 고이 자라난건
자기보다먼저 남을 위하는 마음
꽃보다 고운 마음 키워준
우리 학교에 감사드리며
너희들 떠나가는 뜻깊은 날에
푸짐한 진수성찬 차려주지 못했어도
사랑하는 학생들이여 잊지 말자
그언제나 우린 혼자가 아님을
어머니조국이 항상 지켜보고있음을
진정으로 도와주는 동포들이 있음을
앞으로 너희들이 걸어갈 길우에
그 어떤 어려움이 닥쳐온데도
한그릇 국밥의 뜨뜻함을 잊지말거라
바라노니 다음은 너희들이 국밥이 되길
-도호꾸조선초중급학교 졸업생들에게-
へえ・・・
私、朝鮮では、ハングルを「チョソングル」と言うものとばかり思っていました。
ハングルという言葉も使うんですね。
勉強になります。
ハングルは固有語です。
ハングルは漢字では無く固有語です。偉大な文字という意味があるそうです。
1900年代の初期に言語学者であり愛国的国語教育者であった周時経先生が命名されました。1444年には世宗大王が<訓民正音>と命名されましたね。