上京30年、思えば遠くへ来たものだ
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就職で上京する前、某地方都市に住んでいたころ。駅に向かっていて電車が来るのが見えたら、懸命に走って電車に乗り遅れないようにと必死だった。1本、電車を乗り過ごすと、時間帯が悪いと15分はホームで待たなければならなかった。
今は目の前でドアが閉まり電車が発車しても、まったく動揺しない。ホームのベストポジションまで歩いている間に、次の電車が到着したりする。電車はすぐに来て当たり前。ホームで5分も待たされるとイライラする人間になってしまった。
東京に来て、ちょうど30年になる。
30年前と言えば、「FOCUS」が創刊され、「キャプテン翼」「タッチ」の連載が始まった年。テレビでは「おれたちひょうきん族」が始まったが、当時はテレビをまったく見なかったので(上京当時はテレビ自体がなかった)、1年ほどそんな番組があることを知らなかった。JRはまだ「国鉄」だったし、東京ディズニーランドはまだなかった。
東京に来て初めて「もんじゃ」というものを知った。それまでは名前も聞いたことがなかった。一番最初に見たときは「なんだこの嘔吐物のようなものは」と思ったものだ(もし、もんじゃを食べながらこのブログを読んでいる人がいたら申し訳ありません)。
東京の黒いダシのうどんにも驚かされた。どんなものかと食べてみたが、予想通りに不味かった。立ち食いの串揚げの店がなかったのも寂しかった。
ホッピーというのも東京に来て始めて知ったもので、これはけっこう気に入って、いつも飲んでいた。
こう書いていると、情報や文化のやりとりの濃度は、今と比べると薄かったと思う。東京は日本の中心ではあったけれど、巨大な地方都市のひとつという感じではなかったか。今は、もんじゃやホッピーのことは日本全国で知っているだろう。また、東京にいても、関西、讃岐といろんなうどんが楽しめるようになった。串揚屋もけっこうできてきた。各県別のアンテナショップもたくさんある。
インターネットの発明と普及が情報や文化のやりとりを活性化させたのは確かなのだが、それは東京(首都圏)と地方の間のことで、地方同士、例えば九州と東北の間の情報や文化のやりとりの濃度は昔とそれほど変わっていないのではないか。30年の間に東京の位置づけがずいぶんと変わったと実感する。
今回の福島第1原発の事故で、「東京が東北をはじめとする地方の犠牲や支えによって成り立っている」という論調をよく聞くが、その度合いが年月が経つごとに増えていっているという感じもするし。
東京で就職せずに、首都圏以外でずっと住んでいたら、今とはぜんぜん違う感覚をもった人間になっていたのだろうと考えたりする。
でも、東京に来て30年、人生で一番長く住んでいるのが東京だが、まだまだよそ者だという感覚が抜けない。(k)
東京
東京は、遊ぶなら申し分ない所だけど、住むのはちょっと…って思いましたね?
あの、人の多さにウンザリしました。
昔は、憧れました。
深川の下町に。
『前略、おふくろ様』の影響で。
懐かしいなぁ…。
たけちゃんさんへ
コメントありがとうございます。
繁華街は確かに人が多いですが、下町は住みやすいと、実感しています。けっして東京が嫌いではありません。何よりも便利ですしね。その便利さが曲者なのでしょうが。