東京第2初級新校舎竣工―学校は心の故郷
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4月24日、63年前に4.24教育闘争が行われたこの日、東京の枝川にある東京朝鮮第2初級学校の新校舎竣工式が行われました。
ご存知の通り、東京朝鮮第2初級学校は、2003年12月、東京都から校舎の一部を取り壊して都有地を明け渡せ、4億円の地代相当金の支払えと、裁判を起こされ、3年半にも渡る闘いを強いられました。学校の歴史や裁判の経緯、その闘いと支援の輪の広がりなどは「枝川朝鮮学校支援のページ」をご覧ください。http://kinohana.la.coocan.jp/edagawatop.htm
裁判が和解された後、休むまもなく進められたのが新校舎建設事業でした。不況の中にもかかわらず、多くの同胞や支援者が協力し合い学校を建てました。竣工式を迎えた人々の顔は誇りに満ち溢れていました。
竣工式の模様などは月刊イオ6月号でお伝えしますが、今日は、新校舎のご案内です。東京第2は、こういってはなんですが、東京でもっとも「ボロい」校舎でしたが、まったく違う学校に生まれ変わりました。とにかく素晴らしい学校です。
上の写真が表の通りから見た新校舎。入り口が広くて「どうぞ、お入りください」と言っている感じです。中に入ると体育館、講堂に使えるスペースが広がります。下の写真がその場所で行われた式典と、式典が終わった後、2階から眺めた様子です。左上が2階の廊下になっていて開放感のあるつくりです。
校舎の中、教室のすぐ横にこうした広いスペースがあるので、雨の日でも子どもたちはのびのびと運動できるようになっています。
1階の体育館の横には音楽室、5、6年生の教室があります。2階には1~4年生の教室などがあります。教室と教室の間には、下の写真にあるように、オープンスペースが設けてあり、本も置いてあって、子どもたちがくつろぐことができます。
そして、なんと、本校にはエレベーターも設置されています。
運動場は人工芝。下の写真は校舎2階から見たグラウンドで、左側の土の部分が昔の校舎が建っていたところです。もう一枚の写真は、祝賀宴の様子、運動場から見た校舎です。
校舎入り口を入ってすぐ左手にあるのが、「마음의 고향(心の故郷)」と題されたモニュメント。同胞はもちろん、日本や韓国の市民など幅広い支援の輪の中で裁判闘争の勝利を勝ち取り新校舎建設を成し遂げたことを記念して、「枝川朝鮮学校支援都民基金」によって作られたものです。
そこに書かれている、説明文の一部を紹介し、今日のブログを終わります。
「東京朝鮮第二初級学校は、1946年1月、植民地から解放された在日朝鮮人が自主的に作り上げた学校です。枝川の地は、1941年、埋め立てを終えただけの未整備の荒れ地に朝鮮人が強制移住されてできた集落でした。その地に解放直後、自らの力で学校を建てたのです。以来、日本国政府の朝鮮人学校閉鎖令によって「都立朝鮮人学校」とされるなど苦難の時期もありましたが、一世、二世の力で学校を守り、また、朝鮮民主主義人民共和国からの教育援助もあり60余年間に2000余名の卒業生を送り出してきました。……
2007年3月、東京地裁の和解勧告を、両者が受け入れたことによって裁判は終わりました。和解による土地の購入は、市場価格よりは安価とはいえ、その負担は決して小さくありませんでした。1964年に建てられた校舎はすでに老朽化が進み、耐震構造への補修も不可能なため、続いて新校舎建設という課題に取り組みました。土地購入、新校舎建設には、在日朝鮮人だけでなく、韓国の市民、全国各地の日本人からの多くの寄付金があてられ、ここに名を連ねる人々や基金会員等多くの方々の協力により、2011年4月、新しい校舎が完成しました。
私たちは、東アジアの平和と共生の道を求めて、このモニュメントを「마음의 고향(心の故郷)」と命名し、在日および朝鮮半島の同胞と日本人の協働をここに刻むことにしました。」(k)
Unknown
写真と記事を拝見して感無量です。
昨年12月26日雨の降る日、河津聖恵さんと二人で学校を訪ね詩の朗読をさせていただいたのが昨日のことのようです。懇親会では南から来られた方々、日本の方々と共に杯を交わしながらウリハッキョに対する熱い想いを語り合いました。小さな統一の日がそこでははっきり見えました。もう4ヶ月も経ってしまいましたね。
オンニョさまへ
いつも、コメントありがとうございます。
旧校舎のお別れのイベントで、詩の朗読会をされたのですね。新しい校舎にもぜひ来てください。
卒業生として
新校舎の竣工は本当に感無量です。
裁判闘争と新校舎建設事業、支援者の熱い思いとそこで結ばれた繋がり・・・長い長い道のりでしたが、いろんな奇跡も生んできました。
私も卒業生として微力ながら今後も支えていきたいです。
とりあえずは子供をいっぱい産まないと・・・。笑