茨城朝鮮初中高級学校に行ってきました。
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連休前の先週、茨城朝鮮初中高級学校に取材に行ってきました。
同校の高級部には青森、岩手、宮城、福島、新潟、栃木、群馬など非常に広範囲から生徒たちが通っており、
現在36人もの寄宿舎生がいます。
私は今まで、福島初中、長野初中、岡山初中、四国初中など、寄宿舎があるウリハッキョに行ったことがありましたが、
今回の茨城ハッキョはまったく違った雰囲気でした。
これまで行った寄宿舎ハッキョは、寄宿生がいても5人以下と少なく、
大人心に「親元を離れてかわいそうだな」と思うことが多かったんですが、
茨城ハッキョは人数も多く、寄宿舎ハッキョ独特のあたたかい雰囲気が一段と強かったです。
現在は初・中級部生の寄宿生はおらず(現在震災の影響で北茨城在住の初級部生3人が一時滞在していますが)、
高級部1、2、3年生のみ。
なんというか、「青春真っ只中の高校生たち」がともに生活している姿がまぶしくて(笑)、
本当に楽しそうでうらやましかったです。^^/
高1の女の子たちの部屋に入って写真を撮らせてもらったんですが、
本当ににぎやかで爆笑の嵐。
「箸が転んでもおかしい年頃」とはまさにこのことだろうな、と思いました。
それぞれ宮城、福島、群馬とそれぞれ別の中級部から集まった子たちですが、
なんでそんなに打ち解けているのかと聞くと、
「セッピョル学園があったからもともと仲がいいんです!」との答え。
「セッピョル学園」とは茨城青商会の取り組みとして2009年から行われている、茨城朝鮮初中高級学校学区連合行事で、
東北・北関東のウリハッキョの児童・生徒全員が茨城ハッキョに集合し、2泊3日間楽しくすごしながら交流するというもの。
この交流を通じて、茨城朝高への進学を決めた生徒もいるそうです。
取材に行った日は、夜に寄宿舎に入った新入生を歓迎する会が開かれました。
先輩たちが動き回る中、少し気まずそうにしている1年生たちに先輩達は
「高1は手伝うことないから!」と気づかってあげていました。
歓迎会の主人公は高1だからです。
おいしい焼肉を食べながら、きょうだい同士が前に出て出身校の校歌を歌ったり。
男女が前に出ると「ソンチャーブラ!ソンチャーブラ!(手つなげ!)」などのコールが起こり、
大いに盛り上がっていました。
そして焼肉をたらふく食べた直後、(若いからでしょうか)なぜか運動モイムという流れに。
体育館で大きな輪をつくり、いろんな遊びをしていました。
また機会があれば、是非また茨城ハッキョの元気な高校生たちに会いにいきたいなと思いました。(里)
懐かしい茨城朝高!!
アンニョンハシムニカ!!
群馬在住の茨城朝高 第48期卒業生です!!
久しぶりに茨城朝高の姿&寄宿舎生の生活スタイルを見て懐かしく感じました!!
これからも、もっと茨城の取材を、よろしくお願いします★
茨城の卒業生金敬淑さんの詩
友達の花
金 敬 淑
桜の花を朝鮮語では
「ポッコッ」と呼びます
染み込むように広がるという
語源を持つその名前が
「友達」の意を持つ「ポッ」
「友達の花」と私には聞こえます
今年も茨城のウリハッキョに
桜が咲きました
旧校舎の頃から立っている
ウリハッキョの古株です
放課後によじ登っては
―今は天国で見降ろしていらっしゃる―
管理のウ先生におこられた思い出も
舞い散る花びらに唱える
秘密のおまじないも
みんな知っている桜の木です
プレハブ校舎を卒業した皆さん、
新校舎に変わっても
桜の木はあの頃のままです
大地が揺れても
桜の木はそのままでした
そして蕾をたくさんつけたまま
震災の夜に枝たちは
焚き木になりました
入学式には咲く蕾に詫びながら
先生が枝を切り
闇に温かい火を燈し
灯りに引き寄せられた
日本の方々も輪になって
眠れぬ夜を共に越えました
灯りの中に見た
互いを元気づけるその笑顔は
守る事に慣れてきた
立ち向かう事に慣れてきた
ウリハッキョの人たちの
心の幹の太さから
滲み出るものなのかも知れません
照らされ 温められ
焚き木の蕾に気づいた心が
互いに何かを分かち合おうと
心と心がつながってゆく
そう、やはり桜はポッコッ
咲き広がる友達の花
そして優しい心の花びらが
地面に舞い降りてゆくのです
いまだ揺れる大地に
桜の木は全身で踏ん張り
残りの枝いっぱいに
花を咲かせてくれました
これからも多くの想いと共に
年輪を刻んでいくことでしょう
焚き火を一緒に囲んだみなさん、
卒業生の皆さん、
そうでない方々も
心細くなったら
桜と笑顔に会いにまた
ウリハッキョに来て下さい
桜は ポッコッ 友達の花です
朝青群馬さまへ
アンニョンハシムニカ!
コメントありがとうございます^^
私は今回初めて茨城ハッキョに行ったんですが、
本当に良いハッキョですね!
北関東の取材も今後ぜひしていきたいと思います★
オンニョさまへ
紹介してくださった詩はこのたびの震災後につくられたものでしょうか??
いつもいつも、素晴らしい詩を紹介してくださりコマッスムニダ!!
Unknown
そうです。<友達の花>は震災後に作られました。本人は今群馬に居住していますが御両親が今も茨城にいらっしゃいます。今日、明日と茨城に子供さん達連れて里帰りしています。今頃茨城のウリハッキョを又訪ねているかも知れません。御両親とも茨城でも教員されていました。敬淑さんは情緒豊かな才能ある詩人です。もう一つ震災後に書かれた彼女の詩を紹介します。
꽃씨를 뿌렸습니다
김 경 숙
입학식을 앞둔 이바라기학교에서
무너진 벽돌 손질하다가
선생님은
꽃밭을 일구기 시작했습니다
대지가 노한듯 요동치는 바람에
벗꽃이 언제 피겠는지––
봄날 첫 바람 언제 불겠는지––
그런 기다림을 잊어버린채
지나가버린 3월이였습니다
다들 무사하라 하늘에 빌고
제발 그만해라 원망하던 3월에
피재지의 우리 학교들은
아이들을 지키느라 용케도
땅을 부여잡고 버티였습니다
그러다가 찾아온4월
대지는 여전히 흔들리고
조용한 날엔 또
후꾸시마에로 이어지는 하늘이
맑고 푸르러서 가슴이 아픕니다
그래도 봄은 이렇게 찾아오고
그래도 학교는 희망이라고
선생님은 꽃씨를 뿌립니다
책상서랍에서 찾아온 그 씨앗이
무슨 꽃인지는 모른다지만…
아이들과 함께 꽃밭을 가꾸며
언제 피나? 무슨 꽃이 피나?
기다리는 4월이 되라고
땅이 흔들려도 꽃이 핀다는
그런 신심이 우리 되자고
기다리면서 다가가면서
우리 그렇게 살아가자고
선생님은
꽃씨를
뿌렸습니다
2011.4.10
アンニョンハシムニカ★
茨城朝高卒業生、今は群馬で教員をしてます李珠実です。
たまたま茨城のホームページを探してたらこのブログを見つけました^^
私も敬淑さんの詩は大好きです。
ファンクラブに入りたいくらいです。
私も敬淑さんにご指導を頂き詩を書きました。
おかげさまで朝鮮新報にも掲載させて頂きました>0<☆