「字が書けるんだぞ」
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唐突ですが、私は在日朝鮮人4世です。祖父母が2世で、父が3世。同胞社会には今でこそ5世が登場していますが、同世代のなかで4世はかなり珍しいほう。 学生のころ、授業で先生に何世か問われる場面が何度かありました。「4世の人?」で、手を挙げるのは決まってクラスで私一人でした。小学生の頃、4世ということで朝鮮新報の取材を受けたこともあります。当時はなぜ自分が取材を受けているのかさえ分からなくて大したことを言えず、取材にあたった記者の方には申し訳なかったと思います。
母方の祖父は母が高校生のときに亡くなったし、祖母も3歳のときに他界しました。ですから「ハラボジ・ハルモニに渡日の経緯を聞いてくる」という宿題もできませんでした。
前置きが過ぎましたが、何が言いたいかというと、私はこれまで、1世と接する機会がほとんどなかったということ。
今回、大阪で1世の方に取材をしました。歌うことが大好きな85歳の元気なハルモニです。
お名前を伺うと、「字が書けるんだぞ」となんだか自慢げに言って、お名前を書いてくれました。渡したボールペンをぎゅっとにぎり、一画一画時間をかけて、丹念に、力強く、大きく。けして上手とはいえない字で、書く姿もどこかぎこちなく、不慣れな印象を受けました。そのわけはお話の中で知ることになります。
ハルモニは幼い頃両親と別れ、働き詰めで学校へも行けず、読み書きは70歳を過ぎてから夜間学校で覚えたそうです。
周知のとおり、1世、とりわけハルモニたちのなかには、読み書きのできない方が多くいらっしゃいます。しかし読んで聞いて知るのと、実際に出会って接して知るのとではまったく違いました。「字が書けるんだぞ」、その言葉には、ハルモニの、学びたくても学べなかった悔しさと、学ぶことへの情熱が込められていたんですね。これまで数千数万回無心で書かれた私の名前3文字と、ハルモニが書いた3文字。同じなはずがない。すべての点と線にハルモニの思いが投影されているようで、とても大切に思えて、あの字がいまも忘れられないのです。
これだけじゃなく、ハルモニから発せられた言葉や何気ない仕草に、人生の荒波を踏破してきた歴史、計り知れないほどの悲しみや喜びが隠れていたのかと思うと、それに気付けず素通りした自分が情けない。それでいまもハルモニとの時間に考えを巡らせています。
取材を終え、月並みですが、ハルモニにはいつまでも元気で大好きな歌を歌い続けてほしいと、切に思いました。
これから限られた時間の中で、たくさんのハルモニ・ハラボジたちに出会いたいです。(淑)