補助金支給問題について
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ただ今、イオ編集部は7月号編集作業の最後の追い込みに入っています。
今日は、日本の地方自治体による朝鮮学校に対する補助金支給問題について思うことをいくつか。
神奈川県の黒岩祐治知事は1日、神奈川朝鮮学園(横浜市神奈川区)に対する県の補助金約6300万円を今年度も払う方針を明らかにしました。県がこれまで問題視してきた歴史教科書について、拉致問題などの表記を学校側が改訂したり副教材で補ったりする約束を県側に示したからだといいます。
http://www.asahi.com/national/update/0601/TKY201106010657.html
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20110602-OYT8T00529.htm
報道によると、たとえば県は「日本当局は、『拉致問題』を極大化し」という記述を問題視したらしいですが、この記述のどこがそんなに問題なのでしょう。事実認識としてはまったく正しいと思います。「日本当局が拉致問題を極大化」した実例はいくらでも挙げることができます。
ただ、ここでは個別の記述や教科書記述の改訂それ自体について論じようというのではありません。問題は、朝鮮学校の教育内容に対する当局の干渉によって、これがなされたということです。これは相当に重大な事態でしょう。
札びらで頬を叩くようなやり方は人間として最低で傲慢極まりない行為だと思います。戦後日本は、植民地だったアジア諸国の政府当局に金を握らせて、過去の清算を求める人々の声を封じてきました。黒岩知事の言葉も、日本で植民地主義が無反省のまま継続している表れだと思います。
黒岩知事は、拉致被害者の横田めぐみさんを題材にした米国のドキュメンタリー映画「めぐみ」を教材に感想文を書くことも要求したという。(読売)
この要求の愚劣さについては、書くまでもありません。
無償化や補助金は当然大事ですが、ただお金をもらえればいいというわけではないでしょう。日本政府や地方自治体はこれらを、朝鮮学校に圧力をかけて自らの望むような形に変えるための手段として利用しています。お金をちらつかせて。これらの権利獲得が「毒まんじゅう」になってしまっては元も子もない、そう思います。(相)