忘れられない歌
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私には忘れられない歌があります。
ず~っと心のなかにあって、きっと一生わすれることのできない歌。
それは私が中学生のころ。ハラボジの喜寿のお祝いの場でした。
喜寿ということで家族だけではなく、知人など大勢の方たちを呼んで、大きくお祝いの場が設けられました。
私たち孫も、つたない歌などを準備し、ハラボジの前で披露したりしました。
ハラボジ、ハルモニのケーキカットなど、孫の私から見ても微笑ましい演出があり、
チャンゴや우리노래(ウリノレ)なども登場し、オッケチュムを踊ったり、
ハラボジもとても楽しそうだったのを覚えています。
そして会の終盤、せっかくだからとハラボジにもマイクが回ってきました。
そして、喜寿のお祝いで息子たちがここまで準備してくれたことが本当にありがたい、本当に幸せだと言って、
自分は韓徳銖議長が作ったこの歌が一番好きだと紹介し、歌いはじめました。
나라도 빼앗기고 고향도 빼앗기고 원한의 노예생활 얼마나 슬펐더냐
원쑤를 물리치고 조국을 다시 찾은 그 기쁨노래하네 그 감격 춤을 추네
노래여 산을 넘고 바다를 건너서 수령님 계시는곳 조국에 울려가라
<조국을 노래하네>という歌でした。
私ははじめて聞く歌でした。
それでも、チャンゴのリズムとともに歌われた
ハラボジのひとつひとつの言葉には、切実な想いが歌とともにあらわれていて、
知らずに涙がでていました。
声をふりしぼり、力のかぎり歌っていました。
この歌を聞いた時、なぜ1世たちが祖国を純粋に慕うのか、理性ではなく感情でわかった気がしました。
ハラボジは、食事の場で私たちに昔の話しをよくしてくれました。
どれだけ厳しい子供時代を送ったか、国がないということはどんなにみじめなのかがわかる数々のエピソードを。
それら苦難の数々を乗り越えて、喜寿のお祝いで歌われたあの歌は、本物でした。
もういまでは聞けないけれど、私はハラボジが歌ったあの歌がいまでも忘れられません。
(叔)さんも言っていましたが、これから生まれてくるであろう子供たちは
確実に1世と直に話せる機会はかなり少ないと思います。それはある意味、恐ろしいことだとも思います。
国がないという悲しい歴史的事実をなんとなくでしか理解できないかもしれないから。
そうならないためにも、1世と子供たちが話す場がもっとあればいいのにと思うと同時に、
いま、歴史を記録し、伝えるという作業はとても重要なことだと感じます。(愛)