統一旗
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6月初に息子の通う朝鮮学校の運動会がありました。
その最後の演目が、全校児童が布を手にして統一旗を作るというものでした。
ということで、今日はあまり文字は書かずに、私がこれまでの取材で撮影した統一旗の写真を紹介したいと思います。
まずは、統一旗に関する簡単な説明から。
統一旗は、北と南が1990年の北京アジア大会で単一チームを構成するために、1989年から体育会談を開いた際に、協議の末決められたものです。北京アジア大会では結局、単一チームにはならず、統一旗が使われることはありませんでした。
統一旗が初めてお目見えしたのは、1991年に日本・千葉県で開催された第41回世界卓球選手権でした。北と南が「統一コリア」チームを結成し出場を果たしました。そのときは現地で取材しました。統一コリアの女子団体が無敵といわれた中国を破って世界一に輝いたときの感動、表彰式で統一旗が掲揚された時の喜びは、今も忘れられません。短くない記者生活の中でもベスト3に入るでしょう。
そのときは写真は撮りませんでした(デジカメもなかった時代です)。
統一旗はその後しばらく表に現れませんが、2000年6月、分断史上初めての北南首脳の逢瀬と6.15共同宣言の発表後、2000年9月のシドニーオリンピック開会式での共同入場を皮切りにジャンジャン使われるようになります。白地に青で朝鮮半島が描かれていますが、細かく描かれているものは、ちゃんと独島も描かれています。
私が直接、取材し撮影したものとしては、まず、2002年の釜山アジア大会。北の美女応援団が話題となりました。この取材も、忘れられない取材ベスト3に入ります。
釜山の金海空港に到着した北の選手を南の人たちが統一旗をもって出迎えています。
アジア大会の開会式。統一旗を先頭に北と南の選手たちが「アリラン」の音楽が流れる中、入場。観客すべてが立ち上がって声援を送っていました。
女子ソフトボールの試合、北の選手を応援する釜山市民たち。
北の美女応援団も統一旗をもって応援。
アジア大会期間中、北の応援団は釜山の港に停泊したマンギョンボン92号に宿泊。大会が終わって釜山市民らが手を振って送ります。
次に、2005年8月にソウルで開かれた祖国解放60周年記念行事。このときは取材をしていて、すでに統一のプロセスに入ったのだという話をいろいろな場で聞きました。たった6年前はこうだったんですね。逆に言えば、6年後にはどのような状況になっているのか想像できません。この取材も思い出深いのですが、5日間くらいの取材期間で、睡眠時間が10時間ほど、最後の2日は一睡もできなかったという、超ハードな取材でした。
会場に掲げられた大きな統一旗。横に「ウリ(われわれ)」と書かれています。
記念式典の開会式で、北と南の団長が統一旗を先頭に行進しました。
大きな気球も統一旗のデザイン。「one corea」と書かれています。
開会式の後に行われた北と南の男子サッカーの親善試合。人文字で統一旗が完成。
同じくサッカーの試合会場に現れた巨大な統一旗。
試合終了後、北と南の選手が統一旗をもって場内を一周。観客に手を振って統一をアピールしました。
統一旗は南に李明博政権ができた後、国際大会や行事で使われることはありません。李明博政権は発足当時から、北と南の双方が合意した6.15共同宣言や10.4宣言を否定し続けてきました。現在の北と南の関係は最悪で、北は李明博政権をまったく相手にしなくなりました。
再び統一旗が公の場で使われるのは、南で次の政権ができた後になるでしょう。
ところでこの統一旗、日本で買うこともできます。
株式会社更五(http://www.sarago.co.jp/nfhtm/1k.html)
(k)