書は人なり
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皆さんは子どものころ、習い事をしていましたか?
私はバレエ、ピアノ、朝鮮舞踊、絵画など、割とやりたいことをさせてもらっていました。中でも最も長く続いたのが書道でした。小学校低学年から大学を卒業するまで中断することなく毎週まじめに通い、書くことが本当に好きでした。
「書は人なり」という言葉がありますが、字にはその人の人となりが表れるといいますね。
というわけで今回は習字の話を。私事ですが、興味のある方はお付き合いください。
長く続けていたので、楷書、行書、草書、隷書、仮名と、一通りの書体を学びました。
硬筆(ペン習字のこと)よりも断然毛筆が好きだったので、段位にも顕著に表れ、毛筆に比べて硬筆の方は伸び悩みました。
一番好きだったのは臨書です。
臨書とは、古典・古筆の学習で、書道作品を制作する上で基本になるものです。臨書は、お手本そっくりに、可能な限り似せて書くようにします。書の点と線の形、筆の運びまで似せて書きます。美術で言う写生でしょうか。この臨書、昔から書を学ぶ上で特に重要であると説かれてきました。臨書は、お手本がどのような用筆の結果このような線になっているのか、起筆の方向や位置、筆圧を見極め、分析、探求し、それを再現できるまで繰り返し繰り返し修練するのです。これを何度も繰り返している内に書の理論を体得して、次第に正確な運筆を覚えていくのです。臨書はとても集中力と忍耐力のいる学習ですが、書の向上の妨げとなる怠惰や無神経を排除するのに欠かせない訓練なのです。実力を示すのは、会派によって基準の異なる段位よりも、臨書力であるともされています。
通っていた習字教室では1年に2回大きな臨書作品を制作していました。条副といって、1m以上もある縦長の半紙に、通常より大きな硯と筆を使って書きます。展示会などで最も多く使用されている掛軸と同じです。
私にとってはこれが一大行事でもありました。正月の書初めと、夏の七夕。ちょうど今の時期です。納得のいく作品ができるまで、ただひたすらストイックに書きつづけました。何時間も立ちながら前屈状態で書いていると頭に血が上って、体力的にも精神的にも限界がやってくるんですけど、もうだめだ、もうあと1枚しか書けないという臨界状態に至ると、不思議と底力が発揮されたものです。その研ぎ澄まされた長い緊張の時間と、最後のひと筆を書き終え解き放たれる瞬間がたまらなく好きでした。
そんなふうに時間と情熱を注いで仕上げた作品ですが、手元に残っているものは1枚もありません。書いている時間や、積み重ねこそ大切で、できあがった作品にはあまり興味がありませんでした。
便利な世の中になったので、書道は使用シーンが少ないと思われるかもしれませんが、アナログなりにも便利なのです。
特に学生の頃はさまざまな場面で重宝しました。掲示物の作成によく借り出されましたし、卒業式の看板や、抗議デモの横断幕を作成したりしました。社会人になってからも、大切な場面で字を頼まれることが多々あり、役にたててよかったと何度も思いました。
手紙や葉書もそうですが、やっぱり手書きがいい。人の手によるものは大なり小なり“なにか”が宿り、大なり小なり“だれか”の心を震わすと思います。
つい最近、久しぶりに筆をとる機会がありました。横断幕にポスターカラーで書いただけなので、厳密にいうと書道とは異なりますが。その時間がとても楽しくて、今年、数年ぶりに作品を手がけてみようかと考えています。墨のにおいと半紙の手触りが恋しい今日この頃です。(淑)
習い事の思い出
淑さん。アンニョンハセヨ。いつも楽しく読ませていただいています。
習い事の思い出、私のような年寄りにもありますよ。私達が初級学校に通っていた頃はみんな貧しくて習い事は夢の又夢でした。特にピアノを習うなんて…
それでも夢を捨てきれず自分が働くようになって一生懸命お金貯めて中古のピアノを買い、二十歳になったとき一年間だけピアノを習いにいきました。仕事の合間にいったのでバイエルを終えるのが精一杯、でも夢を果たせたようでとてもよい思い出になりました。私の夢は下の娘がいつの間にか叶えてくれているようです。
Unknown
オンニョさま
アンニョンハシムニカ。はじめまして。
コメントありがとうございます。
夢を母娘でつないでいるなんて、素敵なお話、コマッスンニダ。
私は、習い事をめぐって(笑)、オモニとたくさんケンカもしましたが、今となっては申し訳なく、また本当にありがたいと思っています。
実はオンニョさまに一度だけお会いしたことがあります。昨年の春ごろだったかと思いますが、ほんの一瞬だったのでいつかきちんとご挨拶したいです。^^
書道
朝鮮でも、漢字の書道はまだ有るのでしょうか?