「高校無償化」をめぐる支離滅裂
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朝鮮学校への「高校無償化」適用問題をめぐって、
またもや許しがたいことが起こりました。
滋賀の県議会が19日、朝鮮高級学校を「高校無償化」の対象にしないよう求める意見書を賛成多数で可決したのです。
意見書には、朝鮮学校の教育内容が
「歴史教育あるいは民族教育と呼べる内容ではない」、
「(朝鮮学校に通う生徒に対し)日本社会や国際社会に対する軋轢(あつれき)を生みだすもの」、
さらには「独裁体制を支えるための思想教育として人権侵害の疑いさえある」とまで書かれていました。
今回の滋賀県のみならず、
日本全国の各道府県(北海道、青森、新潟、富山、石川、福井、栃木、千葉、山梨、広島、岡山、香川、長崎、大分、熊本、鹿児島)で
すでに同様の意見書が可決されています。
各県議会が「足並みを揃えて」いることは、容易に想像できます。
そもそも昨年3月、鳩山元首相は朝鮮学校について、
「(朝鮮学校の教育課程が)日本の高校に類する過程なのか、何らかの客観的な基準を作る必要がある」としました。
(朝鮮学校の教育課程は日本の6・3・3・4制に合わせたものであるし、学校教育に類する教育を行うものとして、各種学校の認可を受けています)
そしてわざわざ第3者機関による「検討会議」を設け、
そこで出した結論を踏まえた「審査基準」なるものを正式発表したのではなかったでしょうか。
政治的な要素を抜きにして、外形的な基準を満たしていれば、朝鮮学校は「無償化」の対象とされるはずだったのです。
それなのに昨年11月末、朝鮮半島で起こった「砲撃事件」を理由に一切の審査手続きを停止しました。
そしてそんな国の理不尽な「方向転換」に倣って、
さまざまな地上自治体が朝鮮学校の教育内容にケチをつけてきているのです。
はっきり言って朝鮮学校の「無償化」除外を求める側の主張は本当に支離滅裂なものです。
主張でもなんでもない、ただの「言いがかり」。
それはいつでもコロコロと変わるような、恣意的でデタラメなものです。
でも、これがまかり通ってしまうのが、今の日本という国の現状。
こんな馬鹿げた現状に踊らされているのかと思うと、言葉をなくすとともに、本当に腹立たしいです。
「腹立たしい」という言葉では収まりきらないほどの感情があふれてきます。
朝鮮学校の教育が人権侵害だ、とか言っていますが、
「人権侵害」の言葉の意味、重みを知っているのでしょうか。
頼むからそんな言葉をたやすく振り回さないでほしいです。(里)
嘉田滋賀県知事に抗議しましょう
嘉田滋賀県知事の朝鮮学校に対する認識はこんなものだったとは。
子供に八つ当たりすることは本当に適切か
米国の息のかかった軍隊が朝鮮から反撃された時、日本政府は朝鮮学校に対し差別的な八つ当たりをしましたが、嫌な事があると子供に八つ当たりするというのは、大人としてそれほど自慢できる事ではありません。
また、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式の原始的態度を子供達に対して適用する事が適切な行為と言えないことは、多少なりとも分別を持ち合わせた人間には自明のことですが、何か気に入らない事があると子供たちを標的にした犯罪を犯すクセのある大和魂というものは、なおさらあまり輝かしいものとは言えません。もう少し正確に言うと、それは恥知らずです。
「朝鮮に反撃されたら朝鮮の子供達への教育を妨害してやれ」という、子供達を事実上人質とみなす卑劣な人権侵害に屈しない姿勢は、金銭等の力で教育内容をねじ曲げようとする戦前からの日本の伝統的な習癖にとって痛手となっています。
今後、日本の教育が戦前式の歴史捏造を増やすにあたって、朝鮮学校の方では歴史的事実を率直に教え続けているとしたら、それは捏造好きの右派教育にとって目の上のたんこぶとならざるを得ません。歴史的事実の率直な公開は、右派のもっとも得意とする隠ぺいと改ざん、それはこのたびの原発被害隠ぺい、原発やらせメール、さきのフロッピー改ざん検察などにおいてもその能力を必死に発揮しようとしていた事実が垣間見えますが、そのような隠ぺいと改ざんを歴史的事実にも応用して歴史隠ぺいと歴史改ざんを試みる右派のいつもの行為をやりにくくさせています。それゆえ今日本政府は、朝鮮学校の学校教育を金銭の力によって支配しようとしていますが、そのような行為はやがて行為者自身の首を絞めることになるでしょう。