除染作業の現場に立って
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先週の日曜日(24日)、福島県郡山市にある福島朝鮮初中級学校を訪れました。同校で行われた放射性物質除染作業を取材するためです。3月11日の東日本大震災以降、福島行きはこれで3回目。
除染作業の詳細については、実際に作業をされた方々のブログなどで報告されています。
http://ameblo.jp/k-jong/entry-10964720734.html
http://ameblo.jp/k-jong/entry-10964740530.html
http://ameblo.jp/sanpurena/entry-10964326034.html
http://ameblo.jp/sanpurena/entry-10964342616.html
福島朝鮮初中級学校での除染作業は今回で3回目。参加人数は回を追うごとに増え、今回は関東、東北地方など県外から駆けつけたボランティアを中心に100人以上が集まりました。主体は、30~40代の青商会メンバーとOBの人たち。twitterやfacebookで参加者を幅広く募った結果です。1日でかなりの量の作業をこなすことができました。
気温30度を超す炎天下に、上下レインスーツに防塵マスク、ゴム手袋、長靴という重装備で行う肉体労働は想像以上にハードです。私はカメラを片手に写真を撮っていただけですが、それでも開始30分で全身汗だくになりました。
福島朝鮮初中級学校の放射線量は郡山市の中でも低い部類に入りますが、毎時4マイクロシーベルトというホットスポットも存在する中での除染作業には少なくない危険がともないます。そのため今回、作業に従事する人間を35歳以上に限定しました(それでも何人か30代前半の人たちが混じっていましたが)。
「確かにリスクはあるけど、子どもたちのためなら何でもない」「自分の残りの人生よりも、子どもたちの未来のために」という声が多く聞かれました。その言葉を聞きながら、彼らの心意気に感動する一方で、複雑な気持ちにもなりました。
子どもたちはもちろんですが、大人たちも被曝していいわけではありません。子どもから老人まで、被曝していい人などこの世に誰もいません。ましてや大人とはいえ、30代、40代はこの先の人生まだまだ長い。郡山は原発20キロ圏内ではありませんが、放射性物質で汚染された場所での作業にまったく危険がないとは言えないでしょう。今後、自らの決断で除染作業に参加しようという人たちは可能な限りの放射線対策をとって、相応の覚悟を持って除染作業にあたるべきだと思います。そのボランティア精神を実りあるものにするためにも。
「道のりは長く険しい」
今回の除染作業の現場に立ちながら感じたことです。東京電力福島第1原発事故の収束の気配がいまだ見えない状況下で、除染作業が長期性を帯びることは言うまでもありません。放射性物質の流出は現在も続いています。雨が降れば、大気中に浮遊する放射性物質が地表に落ち、放射線数値が再び上昇することもあります。東電や政府がやっていることは、危険な汚染物質を右手から左手に持ち替えて「はい、安全です」と言っているのと同じで、とても状況が改善したと思うことはできません。除染作業はもちろん1回や2回では終わらず、継続的な取り組みが求められます。
昨日、福島県私学法人課に電話し、校庭の汚染表土除去作業(正式には校庭等土壌緊急改良事業と言うらしい)に関して担当者に話をうかがいました。先日、福島朝鮮初中級学校がこの事業の対象に入ることが決まりました。同校の運動場の表土除去作業には県から費用の半分が負担されます。ただ、現状では同事業に関する県側の要綱の制定がまだ済んでおらず、本格的なスタートはしばらく先になるとのこと。
補助の対象は「運動場とそれに準ずる場所」(土がある場所)だそうです。一方で、校舎や体育館などの施設は対象に入りません(これは朝鮮学校だけではなく、日本の公立学校の場合も同じとのこと)。
残り半分の費用をどのように調達するか。運動場以外の土壌部分をどれだけ対象に含めることができるか。個人的には、広い意味での除染という観点から、土壌以外の部分に関しても国や県が何かしらの支援をするべきだと思いますが、現状では土壌以外の部分に関しては自分たちの力でやっていくしかないようです。
今回の福島第一原発の事故に関して言えば、われわれは歴史上かつてない新しい事態に直面しています。これから先、何が起こるかわからない。どうすればいいのか、参照すべき前例はほとんどありません。
以前にも書きましたが、現時点ではどこまで議論を深めても「正解」にはたどり着けない。どの選択肢が本当に正しいのかはわからない。わからないからこそ、学校のため、子どもたちのため、同胞コミュニティのためにどのような取り組みが必要なのか、どのような方法がいいのか、みなが知恵を出し合い、そのつど決断し、その決断を尊重し、行動に移していくしかない。そう思います。(相)