韓国労働者の母・李小仙さんの死
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昨日の日刊イオでも書かれていましたが、この月曜日にイオ編集部の(愛)さんの結婚式がありました。無事に、盛大に、結婚式が終わりホッとしています。
結婚式があったために参加できなかったのですが、同じ日に東京では、脱原発の集会とデモが行われ6万人(主催者発表)が集まったようです。その前のデモで少なくない逮捕者が出ていたということで、注目されていました。社会的な問題のために日本で6万人が集まるというのは近年ないことで、脱原発の社会的な盛り上がりはさらに大きくなっているようです。
しかし、この集会・デモの報道の仕方は、各社様々なようで、小さいあつかいしかしていない社もありました。原発に関しては各社の主張はいろいろで、脱原発の動きに待ったをかける論陣を張るマスコミもあります。この期に及んで、原発を存続させたいというマスコミがいることに驚かされます。
少し前の話になりますが、9月3日、韓国で1400万労働者のオモニと呼ばれた李小仙さんが亡くなられました。81歳でした。李小仙さんは、故全泰壹烈士のお母さん。
ソウルの平和市場にある被服工場の労働者だった全泰壹烈士は、1970年11月13日、労働条件のあまりにもの劣悪さを改善するため、「勤労基準法を守れ!」「俺たちは機械ではない!」と抗議しながら焼身自殺します。彼の死は、韓国の労働運動に火をつけ、学生や知識人に労働運動へ目を向けさせる大きなきっかけとなりました。彼の命日はその後、大きな労働運動が繰り広げられる日となりました。
李小仙さんも、息子の死から労働運動の世界に身を投じて労働運動の前進に大きな影響を与えシンボル的な存在となっていくわけです。
李小仙さんが韓国の労働運動にとってどれほど大きな存在であったかは、李さんが亡くなった後、各地で追悼の集会や夜会が行われていることでもわかります。9月7日にはソウルで「労働者のオモニ李小仙 民主社会葬」が行われ約2000人が参列したと伝えています。
李小仙さんのお話を一度だけ直接うかがったことがあります。2003年11月に李さんは娘さんと初めて来日しました。日本で「全泰壹評伝」という本が出版されたことを記念して来日されたのだと記憶しています。そのとき何ヵ所かで講演をされたのですが、東京で行われた講演会に、何としてでも参加しなければと仕事を抜け出して足を運びました。
その時、李小仙さんが強調されていたのは、労働者たちが富の創造者であること、労働者たちが当然与えられるべき自らの権利をもっと自覚しなければならないこと、労働者たちが団結・連帯しなければならないということでした。
その講演会で日本の労働運動について厳しく語っていたと、私自身が当時とある文章で書いていますが、具体的にどのように語っていたのか当時のメモが残っておらず定かではありません。ともかく日本の労働運動に厳しい目を向けていたことが印象に残っています。
日本は韓国の労働運動と無関係ではありません。
韓国では、70年代半ばから、韓国の馬山自由貿易地域へ日本企業が進出しますが、それは安い労働力と労働争議のないこと企業にとっての「好条件」を求めてのことだったわけです。
しかし、韓国社会で民主化闘争が大きな成果を収める中で、労働運動も新たな段階に入り、韓国労働者の賃金も上がってきます。そうすると、メリットを感じなくなった日本企業の撤退が始まるわけですが、非人道的な非常に無責任な形で引き上げるといったことがありました。1989年に韓国スミダが450人の労働組合員を解雇した韓国スミダ電機(日本スミダ電機の韓国法人)や、2007年にファックス1枚で労働者71人全員の解雇と工業廃業を通知した韓国山本(日本の山本製作所が100%出資で作った会社)などがその典型的な例です。
日本企業は今も安い労働力を求めてアジア諸国に進出しています。
原発の問題だけでなく、労働者の問題や在日外国人問題などなど、社会的に解決されなければならない問題で、今回のように何万という規模の人間が集い行動する、ということが、日本社会でもっとあってもよいと思います。(k)