権利の主体は? 横浜教育フォーラムを終えて
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いつの日か取材を終えた帰り道、何気なく入った喫茶店でコーヒーを飲みながら、Mさんは外国人の子どもの母語教育に携わるようになったご自身の出発点について話してくれたことがある。Mさんは、日本の公立学校で日本語が不自由なゆえに、行き場のなかった南米の子どもの母語教育や居場所作り、ルーツを訪ねる沖縄旅行、朝鮮学校と日本学校との交流に熱心に取り組む教育者だった。
それは部落差別に苦しんだ母親が自ら命を絶ったという話で、私は脳天が衝かれるほど衝撃を受けた。差別や偏見が人を殺すことがある。当時、在日朝鮮人を取り巻く社会的な不条理を取材していたものの、自分の存在を脅かされるほどの経験を持ち得なかった私は、差別の厳しさを思い知らされた。
25日に横浜で開かれた神奈川朝鮮中高級学校創立60周年記念・民族教育フォーラムは、在日朝鮮人にとってかけがえのない民族教育を知ってほしい、との思いから企画された。私たちが異国で何代にもわたって続けてきた民族教育は、言葉や名前―すなわち人格を根こそぎ奪われた植民地支配が日本で克服されていないことから、幾多の試練を越えなければならなかった。しかし残念ながらこれらの事実や、日本の公教育で満たされない教育ニーズが日本社会にどれだけ伝わっているだろうか。少なくとも、日本政府が朝鮮学校だけを高校無償化の対象外にする、というレイシズムを公然とやってのける社会である以上、伝わっているとはいいがたい。
知る場、分かちあう場はもっとたくさんあっていい。
朝鮮近現代史の研究者、日本人弁護士や学者、朝鮮学校教員や保護者をパネラーに迎えたフォーラム。参加した同胞の中からは日本の人にもっとたくさん来て欲しかったという声があがっていたが、次につなげてほしいと切に思う。
1998年に日本弁護士連合会の一員として、日本政府に朝鮮学校差別の是正を勧告した鈴木孝雄弁護士は、アイデンティティについて私たち同胞自身がわかってない、とアリストテレスから始まる持論を展開してくれた。権利の主体は誰か。その自覚なくして厚い壁を突き破ることはできないだろう。(瑛)